中学・高校の時は校則が厳しいこともあったし、何よりシスターがそれを良しとしなかったことから、メイクをしないことが正義だと思っていた。
メイクをするのは変に大人びた子か、「ありのままの自分」を受け入れられない人がするものだと、友達と言い合うこともしょっちゅうだった。

友人が眉を描いてくれたことをきっかけにメイクと向き合う覚悟をした

それが華やかな大学生生活とともに、急浮上してきたのだ。周りはみんなメイクをするようになり、私はなんだかその勢いに飲まれるのも悔しい気がして、負けてたまるものかとさらにメイクとの距離をとるようになっていた。
そんなある日、憧れていた美しい友人から、「メイクは使い方次第だよ。私なんてまだ上手くできないからさ、練習してるとこだよ」と教えてもらったことで、あんな美人が努力してまで付き合いたいものとは何なのだろう、とメイクの存在が気になり始めた。
そんな私を察してか、友人が話をしながらささっと私の眉を描いてくれた。
するとどうだろう。薄暗いトイレの鏡で見た私はいつもより凛々しく、ずっと頼もしい女性に見えた。
その日の夜、私は友人が描いてくれた眉のまま、部屋にいた。いよいよメイクと向き合う覚悟を決める時が来たようだ。
おしゃれな間接照明すらないやけに明るい部屋で、100円ショップで慌てて購入した真四角の鏡を使って自分の顔をまじまじと見た時、気がついてしまった。
今まで私は自分の顔を見ることを避けていたのだ。
人のこと言っておきながら、「ありのままの自分」を受け入れていなかったのは私自身だったんじゃないか。

コンプレックスを受け止め自分でメイクしたら、メイクと仲良くなった

自信なさげな眉、怒っているように見えるへの字の唇、縁起よさげにおでこの真ん中にどでかく鎮座する黒子、生まれつき左頬にある大きなあざと向き合わなければならないのは、なかなか勇気がいることだった。何より鏡を見るたびにコンプレックスが受け止めてくれと言わんばかりにぶつかってくるのはつらかった。
でも私は今日、メイクを自分でしてみると決めたのだ。ごくりとつばを飲み込み、ドラッグストアの袋を手繰り寄せ、中にあった小さなBBクリームを手に取った。
その日以来、時間とともにメイクと仲が良くなってきた私は、雑誌やYouTube、Instagramから得た情報をもとに顔面での実験を繰り返した。
すると眉は穏やかな印象に一役買ってくれるようになり、唇はご機嫌に、黒子やあざはあまり気にならなくなった。メイクにかかる時間も短くなり、メイクをする上で気になっていたハードルは次々越えられるようになってきた。
すると次第に、周囲の人から「目がキレイだね」「目の形ステキね」と言われるようになったのだ。

メイクは、「ありのままの自分」を受け入れられるようにするマブダチ

不思議なもので、今まで見向きもしなかった自分のまん丸猫目が愛しく思え、この子を生かすメイクはないかと研究するようになった。私は心の中であの時の友人を思い出した。
その時ハッとした。
メイクは「ありのままの自分」を受け入れられない人がするものなのではなく、「ありのままの自分」を受け入れられない人でも受け入れられるようにしてくれるものなのだ。
今ではすっかりメイクとマブダチ状態な私だが、これから年を重ねるにつれ、さらに悩みもあるだろうし、もしかしたらまた鏡を見たくない日も来るかもしれない。
そんなときは、あの時の自分の気持ちを思い出して、こんなこともあったじゃないかと言いながら、程よい距離感で仲良くしていきたいと思う。