メイク男性用トイレから、可愛いアイドルが出てくる。

高校2年、友人に誘われて訪れたコミックマーケットで、いの一番に衝撃を受けた事件である。通常のトイレ数では来場者をまわせないため、男性用トイレの一部を女性用にしたり、仮設トイレを用意したりと、対策がとられているのは知っていた。

これもその対策の一部なのか。とっさにそう思い表示を見直すも、依然「男性用」の文字に変わりはなく。となると、どうしても我慢できなかった可能性が高い。気になってチラチラと視線を送ってしまう。

コミケで見た可憐なあの人は、女性キャラにコスプレした男性だった

すると、彼女は私に気が付き、会釈をしてくださった。お顔やスタイルだけではなく、仕草まで可憐だ。微笑んだ顔の綺麗さに、隣にいる友人をつついて「あの人、すごいね。芸能人みたいだね」と語る。

一瞥した友人は、ああ、と頷き「ツイッターでこの前回ってたよね。有名なコスプレイヤーさんだよ」と補足をしてくれた。コスプレイヤーとは、アニメや漫画などのキャラクターに扮する方の総称で、レイヤーさんともいうらしい。

理想の異性を演じることになるため、男の人が女性キャラをやったり、女の人が男性キャラをやったりする方が魅力的に見えることも多いのだという。そこまで聞き、私は、はたと歩みを止めた。
「つまり、さっきのも……?」
「うん」
落雷。16年間女をやってきた私よりも細く、白く、顔も小さく。そんなあの人の、少なくとも身体の性別は男性だったのだ。友人は私の驚き具合によじれるほど笑い、周囲を見渡して、さらに追記を行ってくれた。すらりと背の高いあの騎士は女性で、片目を眼帯で隠した彼も女性で、マントを翻す青年も女性らしい。

私はメイクについて何も知らなかったけど、友人がテクを教えてくれた

なんということだ。友人は「私もやってみたいんだよね」とこぼしながら、楽しそうに彼らを眺めていた。「男装だとほっぺたをキュってさせるために、フェイスラインをテープで引っ張ったり」と友人が言う。私が「テープで引っ張る?」と尋ねると、「そうそう。どうせウィッグかぶるから、つむじのあたりで交差するように貼るの」と教えてくれた。

その他、唇に艶があると女性っぽく見えてしまうからコンシーラーで色を消すだとか、ノーズシャドウは濃いめに入れるだとか、つけまつげはしない場合が多いだとか。なお、全体的にマットに仕上げると、さらに男性感が増すらしい。

当時、運動部に所属し、毎日校庭を駆け回っていた私に「メイク」の概念はなかった。額にぽつりとニキビができても、コンシーラーの存在さえ知らなかったのだ。そのため、流れるように語られる技術についても、聞き慣れない単語の方が多かった。

大学生になりサージカルテープを手に取った私は、憧れの私を思い描く

この出来事を改めて思い出したのは、大学入学後、ドラッグストアの化粧品売り場を通りがかった時だ。友人はあの後コスプレデビューを果たし、撮影データをこっそり見せてくれた。写真の中の友人は、私が知っているいつもの友人ではなかったけれど、笑った時に目が細くなる癖はそのまま残っていた。

陳列棚を見ながら当時を懐かしむ。ついサージカルテープを手に取ると、なんだか戻すのが惜しくなり、そのまま買い物かごへ放り込んだ。いつ使おうか。というか、どうやって使うんだっけ。つむじで十字を描くんだっけ。

ボックス脇にちょこんと置かれたテープを見る度、私がなりたい私になるために、メイクがあるのだと思い知らされている。