私はメイクをしないで街に出る。友達のA子は、30分以上かけてバチバチにメイクをして街に出る。そして、二重メイクに疲れた彼女は整形をした。
仲の良い友達同士なのに、こんなに違う。メイクとの距離感の「距離感」に驚いている。そんな私は、人のメイクとの距離感にほどよく無関心でいたいと思っている。
初めてメイクをした自分の顔を見て、「気持ち悪い」と思った
大学生になった時、母が私にメイク道具一式をプレゼントしてくれた。大人になったようで嬉しかったのは、一瞬だった。初めてメイクをした自分の顔を見て、嬉しさはどこかにいった。
気持ち悪い。粉を乗せた肌が、まぶたの上のキラキラが、ほんのり色づいた唇が、それぞれ全部気持ち悪かった。似合わない女装をしているみたいだった。女装が気持ち悪いということではない。望まない性別が乗っかってくる感じが嫌だった。
今思えば、私の性自認に関わる問題だったのだと思う。おちんちんが欲しいと思ったことはないし、女性に恋をしたこともないが、たまに自分の胸のふくらみに驚くことがあった。
そして初めてメイクをした日、自分が女性らしい見た目を拒絶していることに気がついた。「女性らしい」という言葉はナンセンスかもしれない。自分がスカート、フワフワの袖、レース、花柄、化粧をまとうことが苦手と言い換えておく。
わざわざ時間をかけて嫌いな自分になる意味が分からない。あの日、私はメイクと距離をおくことに決めた。
私は今も「究極のナチュラルメイク」と言い、すっぴんで生活している
20代半ばになった今、バイト中も含めほぼすっぴんで生活をしている。面接や冠婚葬祭のときはメイクをするが、形式上のものと割り切っている。上司に敬語を使うのと同じ心持ちでメイクをしている。
また、「職場にメイクをしてこないのは、だらしがない派」の目をかいくぐる方法も見つけた。入職する時、ごくごく薄いメイクをして出勤する。ナチュラルメイクというポジティブな言葉の力を借りる。
1週間くらいかけてメイクを薄くしてゆき、最終的にすっぴんで出社する。「究極のナチュラルメイクです」というような顔で堂々と仕事をする。幸いなことに、今までメイクをしていないことでとやかく言われたことはない。バレていないのか、許してもらえているのか、呆れられているのか、定かではないが、なんとかやらせてもらっている。
一方、友達のA子はメイクとの距離感が近い。「すっぴんで出かけるなんてありえない」と私に言う。確かに、メイクをしたA子はきれいだ。特に彼女は二重メイクにこだわっていた。そして、ある日「二重に整形するわ」と言った。
いつもすっぴんの私にはその気持ちが理解できず、反対の言葉を言いかけたが、やめた。彼女の気迫に負けた。強い決意をした顔なのに、泣きそうな顔をしていた。
友達が整形して嬉しそうな顔を見て、「本人が幸せ」ならよいと思った
彼女にとって「一重」は大きな問題だったことをその時知った。「あなたには度胸があって、タフで何かと楽しそうで、すてきなところがたくさんあって、とても美しい人だから、整形しなくてもいいんじゃない?」と伝えておけばよかったと思うこともあった。
でも、整形後、「目かわいいでしょー」「これで化粧の時間短くできる!」と嬉しそうに笑う彼女を見た時、どうでもよくなった。あなたがよいのが、よい。
そんなこともあって、私は他人のメイクとの距離感にほどよく無関心でありたいと思っている。私は今日もノーメイク(究極のナチュラルメイク)で街を歩くけど、あんまり気にしないで。これは、わがままなお願い?