「恋愛は娯楽だ」と聞いたことがある。
私は生まれてこの方、「彼氏」という存在がいたことがほとんどない。
「まったくない」と言い切れないのは、幼稚園のときに親公認の仲のいい男の子がいたことと、大学生の時に2ヶ月だけ一応「彼氏」という存在だった人がいたからだ。
だが、その彼氏もデートのようなものしたことすら一度だけで、今時の中学生カップルよりよっぽど清い。
だから、まぁ「恋愛経験がありません」と言っても差し支えはないだろう。

恋愛ってそんなに必要?私の生活は音楽で十分に潤うけど…

たまに男の人とご飯に行ったり、側から見たらデートなんじゃない?と言われるようなお出かけをしたりすることはある。
「恋人がいる」という状況はきっとこれが定期になり、そこに性的な接触がプラスされる、くらいなんだろう、きっと。
そう考えると「恋愛」ってそんなに必要なんだろうか?と思うことがある。

「恋愛は娯楽だ」という言説をもとに考えてみよう。娯楽とは辞書によると「仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること」(デジタル大辞泉)らしい。

私は「仕事」を日常だとすると、娯楽は「非日常」と言い換えられると思う。とすると、「恋愛」は「余暇を恋人と過ごし、非日常感を味わうこと」と定義できる。

では、私の余暇の過ごし方は何だろう。音楽ライブに行ったり、ミュージカルに行ったり、美術館に行ったり……。私にとって非日常感を満たす娯楽はこんな感じだ。それらの日頃私を癒してくれる娯楽さえあれば私の生活は十分に潤う。

だから、特段「恋愛」をしたいと思うことはあまりなくて、そこに「恋愛」が入り込む隙間があまりない、というのが私の今の生活だ。

世間ではまだ、恋愛をしない選択をすると「異端」に扱われる

人は恋愛の話が好きだ。芸能人のプライベートを赤裸々にトークする番組で、彼氏いない歴イコール年齢の女芸人さんの話が「〇〇の春はいつ来る?」で締めくくられていた。
でも彼女は「自分の恋愛の話をすることすら恥ずかしい」と語り、恋愛に対して消極的な印象を見せていた。

それを観て、「恋愛」を必要としていない私は、恋愛をする気がない人に「春はいつ来る?」というのは余計なお節介なのでは?と思った。
本当は恋愛願望があるのに恋愛ができない人に春が来るのを願うのは良い。
だけど、特に恋愛をする気がないと言っている人にも、恋愛を勧める風潮には違和感がある。

この風潮は「恋愛は良いもの」とか「恋愛はしなければいけないもの」とか「恋愛は人を幸せにする」とかいうステレオタイプな考え方に基づくものだと思う。
私にとっての娯楽は音楽だ。でも、別の誰かにとっては音楽は娯楽ではない。そのことに違和感を持つ人は少ないだろう。もし本当に恋愛が「娯楽」なら、同じように恋愛だって、「しない」という選択肢がもっと普通に受け流されてもいいのではないだろうか。

でも、世間はそれを許してくれない。
「恋愛をしない」という選択肢はまだまだ異端に扱われる。そして、そこには言外に「かわいそう」というニュアンスが含まれているように感じるときもある。

恋愛の先にあるのは結婚。結婚は幸福というステレオタイプな考え方

なぜなんだろう。
音楽を「聴く」も「聴かない」も人それぞれ自由なのと同じように、別に恋愛だって「する」のも「しない」のもその人の自由じゃないか!
やっぱり「恋愛をしない」人に「春」を期待するのは余計なお節介だ。
ではなぜ人はそんなに恋愛を他人に勧めたがるのか。

それはやっぱり恋愛の先に「結婚」があって、「結婚は幸福」という、やっぱりステレオタイプな考え方が、まだまだ世の中に蔓延っているからだと思う。

ひとつ言えることがある。
「結婚」をしたからといって、問答無用で自動的に「幸せ」になるなんてことはありえない。
本当に結婚しただけで幸せになれるなら、離婚する人なんて存在しないはずだ。でも、現実はそうではない。

「結婚」はあくまで(日本の現行の制度に則って言うなら)男女カップルが幸せに暮らすための手段のひとつでしかない。
()で書いたように日本の現行制度では、そもそも男女のカップルしか法律で認められた「結婚」はできない時点で、制度的に十分でないこともわかる。

そんな不確実性を孕んでいる結婚だって、そもそも恋愛と地続きで考えていいのか?という疑問も残る。

恋愛をするもしないも自由だし、恋愛から考えない結婚をしたっていい

「恋愛は娯楽だ」と考えるなら、「恋愛は非日常だ」と言い換えることもできる。でも、結婚は「日常」だ。
いままで「夢」を見させてくれていた恋人との時間が、すぐに「現実」である日常に変換できるとは思えない。だから世の中のカップルたちは何年付き合えないと結婚しないなど、長い時間をかけて2人の関係が「恋愛」という非日常的なものから、「結婚生活」という日常的なものに変換できるのかを見極めているのだろう。

そう思うと必ずしも「結婚」が「恋愛」と結びついている必要はなく、「結婚」から逆算して関係を築いていくということだって可能だと思う。

つまり、恋愛を「する」も「しない」も自由だし、恋愛から考えない「結婚」をしたっていいじゃないか。もっと物事は自由に考えていい。そして、もっと人は他人に無関心になったほうがいい。
私は放っておいてほしい。そして、放っておきたい。自由に考えて、自由に生きたい。そんな世の中になったらいいなと思う。