結婚、私はこのテーマについて考える時、ひどく苦しみ大きく悩んでしまう。

それにはいくつかの理由がある。

1つに私の身体は子供を産むことが出来ない。そんな私が結婚を望んでもいいのだろうかということ。

そして2つ目。自分の恋愛対象が異性に限られない為、結婚したいと思っても現行の法律上結婚できない可能性があるのだ。

17歳の夏休みがん治療のため子宮を全摘出した

子供を産むことができないというのは、17歳の時に癌の治療の際に子宮を全摘出したからだ。その為、自分で出産することは不可能である。

また、妊娠するための力である「妊孕性」の保存を選択しなかった。妊孕性の保存の為の治療には時間と多額の費用がかかる。

そもそも手術で子宮を摘出し、自分の身体で子供を産むことができなくなる私に、使うかもわからない卵子の保存に多額の費用と時間を使うのは非効率的だし、当時の私は出来るだけ学校を欠席したくなかったため、手術入院は夏休み中に済ませてしまいたい、という考えが先行していたので1ヶ月近く治療開始が遅れてしまう卵子の保存は行わなかった。

結婚したとしても周囲の期待や申し訳なさに耐えられないと思う

決して子供が産めないから結婚できないわけではない、そんなこともわかっているし、それでもいいと思ってくれる人を見つければいいのだ、と自分が1番理解している。

しかし、たとえ相手が結婚当初私の身体のことを理解してくれていたとしても、周囲に子どもができ始め、やはり自分の子供が欲しい、と考えるようになったら。

相手の親や親族に孫の顔が見たいと言われたり、子供は作らないのかとら迫られたら。

そのようなことを考えただけで、私はそんな結婚生活に耐えられるとは決して思えない。申し訳なさで生きるのが辛くなってしまうことだって容易に想像できる。

今でさえ日々の生き方に悩みながら奮闘しているというのにだ。

セクシャルマイノリティの私 同性婚が認められない状況は変わるのか 

そして、私の恋愛対象は異性に限らない。いわゆるセクシャルマイノリティである。

セクシャルマイノリティであっても一概に同性と結婚したいのか、と言われるとそういうわけでもない。人として強く惹かれる部分があった人に対して次第に恋愛感情を持つようになって初めて恋愛というベクトルに気持ちを持っていける。

だから相手が異性でも同性でもセクシャルマイノリティでも問わないのだ。

まさに好きになった人が好き、とよく言う人がいるが、その言葉が自分の恋愛観には1番しっくりくる。

となると、結婚したいと思えるような相手が現れ、相手がもし同性だった場合、現行の法律上私は結婚できないことになる。

パートナーシップを結ぶ、というやり方もあることはあるのだが、実際パートナーシップと結婚というものは似て非なるものだ。実際に夫婦として認められるわけではないので本来夫婦であれば認められるはずの権利でもパートナーシップだと認められないものが多々存在する。そしてまだまだ日本では一定世代以上の人達には、同性同士の恋愛、結婚というものには風当たりが非常に冷たい。実際、政治家達の発言を聞いていてもと家族制度の根幹を揺るがす、とか慎重な検討を要する、などと言って議論が前に進んでいない。

また、若い人達の間でも同性愛についてネタにしたり、いじったりする人たちがまだまだ一定数いる。同性愛に寛容だ、と言いながらも無意識にこのような発言に差別的な内容が含まれている場合がある。

自分のすぐ隣にセクシャルマイノリティがいるとは考えていない人がまだまだ多く、この様な問題について自分たちの問題として考えられていないのではないか。

同性婚が認められない状況では基本的人権は尊重されているとは到底思えない。

憲法の中に基本的人権の尊重を掲げるのであれば、同性婚という選択肢だって残しておいてもいいはずなのだ。

現状結婚という選択肢はわたしには存在していない

私はこの二つの点から結婚、というテーマに対しひどく思い悩んでしまうし、現状結婚という選択肢はわたしには存在していないも同然なのだ。現行の法律の下、結婚することは無いのだろうな、と自分の中で半ば諦めているようなところもある。

いつかどんな人たちにも結婚が権利として認められる、男女別姓でも結婚できたり、異性同士であってもパートナーシップという形が選べたり、同性同士でも結婚ができたり、両者の合意の上での互いにとって都合の良い、その人たちに合った形での結婚やパートナーシップが選択できる社会が作り上げられ、それを皆が当たり前のものとして使えるような社会となることを切に願っている。

そんな社会が実現するまで、私は「結婚」というテーマについてきっと悩み続けてしまうのだろう。