メイクとは、だいぶ仲良くなれた気がする。自分の顔を好きだと自覚してから、楽しんでできるようになった。いや、「楽しんで」というより、自分の気分や肌、都合に合わせて、手を抜けるようになったのだと思う。

メイクは時間がかかるし、自分に合う道具を揃える手間と出費もかかる

しばしば論争になるけれど、会社員女性のメイクは義務じゃない。なぜかマナーブックや就活本にも、女性の項目にだけメイクが含まれるが、法律上メイクしなければいけないなんてわけがない。「メイクする・しない」は本当は自由だ。これまでの慣習上、女性はメイクをしているものだという考えなしの鵜呑みによるものだ、と私は考えている。

なぜ私が堅苦しくメイクについて考えているかというと、大体の場合、メイクが面倒だからだ。その作業自体に時間がかかるだけでなく、自分に合った道具を揃える手間と出費もある。

私はアトピーで敏感肌なので、メイクによる肌荒れの危険も、ほかの人より高い。化粧品を買うにも、裏面の成分表示をじっくり読まないと怖いくらいだ。

これだ! というものに巡り会えても、日々積み重なる加齢と洗い流せなかった疲労、季節の状態などで、肌のコンディションは目まぐるしく変わる。毎日使っていた道具も翌日には肌に合わなくなり、顔が真っ赤になって沁みるようになったりする(顔の赤みやニキビを化粧でカバーする、なんて考えが私には恐ろしい! コンシーラーも使ったことがない)。

生活環境が変わった今、気づけばメイクとは懇意な関係ができつつある

メイクによって身体的なダメージも受けているなら、いっそのことメイクには「さよなら」したほうが、私の健康にいいのでは? と思い始めていた。しかし、アラサーになり何度も生活環境が変わった今、気づけばメイクとは懇意な関係ができつつある。

技術の進歩によって、敏感肌でも負担が少なく、日焼けや花粉から肌を守る化粧品が多く登場したのが、とても大きなきっかけだ。「可愛くなる」「身だしなみを整える」「コンプレックスをカバーする」だけでなく、「肌を守る」ために、メイクする時代が来たのだ。

私がメイクを始めた大学生のころは、まだそのような考えに触れなかった。メイクは「目をでかくして肌を白くする」もので、長らくその呪縛にとらわれ、解き放たれるために10年近くかかった。

まぶたを腫らすアイプチをやめるため、私は韓国アイドルRedVelvetのカン・スルギと出会う。一重は単なるパーツに過ぎないが、二重にはない美しさを、彼女に感じた。

自分の顔をじっくり見て、少しずつ「メイクとの距離感」を測っていく

私は自分の顔のパーツをじっくり見た。誰とも比較せず、自分の顔だけ見るのだ。「うーん、かわいい」。数少ない、地球上で私だけが持つものだ。写真に写った自分の顔にも慣れてきた。

アイプチはゴミ箱に捨てた。徹底的に自分の顔に飽きたら、アイプチやら美容整形やらしてみてもいいかもしれない……そうやって、少しずつ、メイクとの距離感を測っていった。

私のメイクはこの10年間に振り落とされた工程と、拾い上げたもので構成されている。敏感肌用の化粧水と乳液のスキンケア、洗顔料で落とせる敏感肌用の日焼け止めを塗り、せっけんで落とせるミネラル系のフェイスパウダーをはたく。さらに眉毛を描いて、出勤のためにする基本的なメイクは完成。眉毛がないと人相が悪くなるので、ここは省けなかった。

出勤は徒歩なので、日焼け止めはSPF50のものを使う。長らくメイク落としを使っていたが、肌の負担に感じるようになったので、なるべく洗顔料だけで落とせるものを揃えた。

朝、メイクにかける時間は10分くらい。5時半に起きて朝支度をし、夫に弁当を持たせて、7時には家を出るので、それ以上延ばす余力もないから、私には丁度いい。出勤も、散歩がてらと思うと気軽でいい。朝の爽やかな日光と外気から、さりげなく私を守ってくれる。それが私のメイクだ。