メイクはマナー 。
メイクはファッション。
メイクで変身する。
モテるメイク。
メイクによる医学的効果。

メイクが上手な訳でもない私だけど、メイクをする時間が「嬉しい」

メイク=◯◯の定義は、無数にあると思う。
そのどれもが誰かにとっての答えであって、それは自由で、変化もしていくと思う。
「メイクは、毎朝“今日”を始める私自身に贈るエール」
それが、今の私にとってのメイクの定義。

私の不安定な瞼は、ホルモンバランスにも左右される。朝、鏡を見て、まずは目の腫れ具合をチェック。生理前は大体、右目が腫れている。
チェックはするけれど、目が腫れていても、腫れていなくても、日々のメイクは殆ど同じ。それでもやはり、メイクをする前と後では、気持ちが違う。

元々メイクへの興味を持つことがとても遅かった私は、未だに自分に似合うメイクを研究中。ほんの1ミリ程度のその差で明暗が分かれる眉メイクは、まだまだ不安定。
アイシャドウは指でぼかして、アイラインは目尻だけ。

マスカラはするけれど、睫毛がどさっと抜けて発狂して以来、もう1年以上ビューラーは使っていない。チークとリップは、マスク生活になってから殆どしなくなってしまった。

つまり、そんなにメイクが上手な訳でも、凝っている訳でもない。正直、夏の暑い日はメイクをすることが億劫にもなる。
それでも私は、メイクをする時間が、嬉しい。

職場のストレスで肌荒れ。ファンデーションが塗れなくなった日々

私がメイクの時間を嬉しいと思うのには、明確な理由がある。
それは、ファンデーションを気兼ねなく塗ることができるようになったから。
20代前半、私の肌は荒れていて、そんな肌が大嫌いだった。

お風呂上がり、鏡に映る自分の肌荒れの酷さに涙を流していた。朝起きて、鏡に映る自分の肌にため息をついては、人に会いたくないと思う毎日。自分の肌を見つめて、それに向き合わなければならないスキンケアとメイクの時間は、苦痛でしかなかった。

ファンデーションをすれば、もっと酷くなるのではないか。そう思いながらも、少しでも隠したい一心で、ファンデーションを塗っていく。
けれど、塗ったところで、隠したい肌荒れは隠れない。メイクを終えても尚、今日を始めることが憂鬱でしかなかった。

原因は職場のストレスだと分かっていたけれど、辞めることは逃げることで、逃げることは悪いことだと思っていた。弱いことだと思っていた。
けれど、肌荒れに比例して心までコントロール出来なくなってきてようやく、私はその職場を去ることを決意した。

自分を見つめられるようになった時、周りの目を気にしなくなった

環境を変えたことで、何となくスキンケアの効果が見えてきた。そして漢方薬を試したりする中で、少しずつ、少しずつ、肌は治っていった。もちろん、まだまだ改善していきたいお肌の悩みは尽きないけれど。

改善する為のスキンケアアイテム選びが楽しいと思えている今が、あの頃の私からすると、奇跡だと言っても過言ではない。

あの頃、何とか肌荒れを隠したいという気持ちで塗っていたファンデーション。
これから会うであろう誰かにどう思われるかを気にして憂鬱だった朝。
見つめたくない自分を見つめて、泣きたい気持ちで鏡と向き合っていたメイクの時間。

今は、「もっと自分が好きな自分になりたい」。そう思いながらメイクをしている。
不思議なことに、自分の肌を自分で見つめることが出来るようになってからは、誰にどう見られるかをあまり意識しなくなった。

これから始まる今日1日への期待を込めて、私はファンデーションを塗る。

それは、今日1日を私らしく過ごせるようにとの思いを込めた、私から私へ贈るエールだ。
メイクを終えた鏡の中の私に、私は少しだけ口角を上げてニコッと微笑む。これが、私のメイクの最後の仕上げ。

「鏡に映る今日の自分にエールを贈る」
それが、私にとってのメイクなんだ。