私がメイクをするようになったのは、大学に入学してからだ。
1年間休学したので大学時代の5年間、社会人になってから約4年、もう10年近くほぼ毎日メイクをしているけれど、メイクが好き、というわけではなかった。

私にとってメイクは「したほうが好都合」だからしているだけのもの

大学に入学して、しっかりメイクをし始めた当初は、肌荒れを隠せたり、目を大きく見せたり、自分の顔がなりたかった顔に近づくのが嬉しかった。
けれど段々、学内や街ですれ違う人の中に、すっぴんだと一瞥するだけなのに、メイクした日は値踏みするように見てくる人がいると気づいた。

気合を入れようと濃い目のリップをつければ、「今日の口、すごいね」と友達に言われて、トイレで落とした。
社会人になると、「小綺麗にしている女性がお茶出しをした方が顧客のウケがいい」と上司に言われ、より念入りにメイクするようになった。

休憩中、毎朝メイクが面倒だと先輩に話せば「そんなに変わらないでしょ」と素顔を覗くようにじっと見つめられて、ファンデーションが崩れてないか不安で顔を背けた。

いつの間にか私がメイクする理由は、周りの人に素敵だ・綺麗にしていると思ってもらうためになっていた。コンプレックスを隠す手段は、見た目で決めてほしくないという本心を曝け出す手助けにはならなかった。

じゃあいっそメイクをやめて、すっぴんで過ごせばいいというわけでもなかった。
「すっぴんがありのままのあなた」のような考えには、こんな皮一枚で、皮と骨と脂肪と筋肉で「私はこれ」と決めつけないでと、思っていた。

そうして私にとってメイクは、していたほうが仕事もやりやすいし、店員さんの態度も丁寧な気がするし、したいわけじゃないけど、したほうが好都合に進むことも多い世の中だからしておきましょう、というものになっていた。

動画サイトで出会った、とあるメイクに衝撃を受けた

そんな、メイクに思い入れのなかった私が、今、やりたいと思っているメイクがある。
きっかけは、あるメイク動画との出会いだ。

休日、動画サイトでドラァグクイーンのメイク動画を見ていた。
ドラァグクイーンのメイク動画は大胆な色使いや華やかさが、見ていて気持ちを明るくするし、映像として好きだ。
その日は再生中動画の右下、おすすめ欄に出ていたメイク動画が目に入った。ドラァグクイーンとは少し異なった、不思議な雰囲気のサムネイルに惹かれて、思わずクリックしていた。 
それは、メイクによって唯一無二の「自分」という生命体を作り上げているような、メイク動画だった。

コンシーラーで顔中に斑点を描いたり、人間のようには見えない目や口にしたり、元の顔立ちが分からないどころか、元の顔立ちなんてどうでもいいくらいの、作り込まれたその人だけの表現。
でも、塗り重ねて隠すためじゃない。防御でもなく、武器でもない。むしろ無防備に、優雅に、心の内をさらけ出している感じがした。こんなメイクがあるのかと、衝撃だった。

もし彼らに道で出会ったら、きっと私はチラリと見ずにはいられないだろう。
動画の中でも彼らは、道端でジロジロと見られる、時には失礼な反応をされると話していた。
でもどこか、そう話す表情はさっぱりとしているような気がした。

どうせ見られるなら「私」を魅せて堂々としていたいと思うように

彼らを見ながら、ふつふつと、ある気持ちが芽生えてきた。
どうせ見られるのなら、コンプレックスを隠すためでも、周りに合わせた仮面でもなく、私が見せたい、表現したい「自分」をメイクで作り出して、その姿で堂々としていたい。

もちろん、仕事もあるし、これまで通りのメイクをしないということではない。
ただ自分の時間に、自分のやりたいメイクをする。休日の過ごし方の選択肢が、一つ増えるだけだ。
でも私は、その気持ちに気づいた時から、ずっとワクワクしている。

表現をどこまで突き詰めていくのか、それは私自身にも分からないし決めていない。けれど一歩、踏み出してみたい。
まずは、ずっとやりたかったけど仕事上できない髪色のウィッグを買って、茶系しかない手持ちのアイシャドウ達にギラギラ系と極彩色を仲間入りさせることから、始めてみようかな。