パンツを脱ぎ捨て、ベッドに寝転ぶ。こんな私はだらしが無いの?
実家にいた頃。若かりし高校生の頃。
だらしない私はいつも、生理の日をメモするのを忘れる。そして、防水加工の無いパンツを真っ赤に染め上げる。挙句の果てには新品のスカートやパンツを赤く染め上げ、自分が座る椅子まで汚してしまう。
なんともまあ、はしたない子だろう。
その割に性的なものに対しウブで免疫のないわたしは、ナプキンを持っていなくて、血だらけになっても、恥ずかしくて、友達に「ナプキン貸して」の一言も言えない。
生理の日は、学校が終わった途端、一目散に家に帰って、生臭いにおいと、どろりとしたレバー上のものと液体が吐き出された、パンツと、ズボンを脱ぐ。
そして、部着と呼ばれるゆるゆるの洋服を着て、部屋へダッシュ。腹痛と、頭痛と倦怠感で、ボロボロな自分を少しでも癒すべくベッドへ寝転ぶ。
これが、わたしの生理日ルーティーン。
ちなみに、これには「パンツに血がついてるから、自分で洗いなさい」と洗濯場から叫ぶ母親の声、それを見ても自分の汚物を片付けないわたしを見て、「お前自分のものも自分で片付けられないからダメなんだよ」とため息をつく弟の声もセット。
こんなわたしは、だらしが無くてクズだろうか。
きっと、これを読んだみなさんは、自分の体内から出た、予測できる汚物を自分で処理もせず、よくもまあまあ、だらだらと、ありえないと思うだろうか。
それは、まあ、実際その通りだと思う。
わたしも、自分で自分の行動をまとめると、改めて自分の堕落した、いい加減さに気づかされたぐらいだし。
高校生のときのわたしなりの、生理への精いっぱいの格闘
だけど、高校生のときのわたしには、高校生のわたしなりに考えがあった。
わたしは、妊娠なんかしたくないのに、別に女であることに対して執着もこだわりもない。それなのになぜ、毎月こんな苦行を強いられないといけないんだ。こんな、オプションつけないで欲しい。
生理の日は、辛い人もたくさんいるけど、辛くない人もたくさんいる。だから、風邪とは違うから当たり前だけど、学校に行ったり体育をしたりといった日常生活を強いられる。
意味わからん。わたしは、風邪くらいつらいのに、誰も労ってはくれないし、自分から生理イコール性的な個人的なことを話すのは恥ずかしい。
だから、こんな面倒なもの、わたしは望んでいないから、わたしがお願いしてつけてもらった機能じゃないから。
好きな人もいないし、これから、セックスだってしたくない。する気もない。妊娠する気もない。
だから、生理なんて来ないで。
生理が来ても生理の存在なんか、スルーしてやる!!
だから、生理の日も、メモを取らず、性周期も予測しなかった。
結果的には、生理の漏れで不快感を抱き、汚れた椅子を見て友達に生理だとバレ、汚いと思われた。それに、弟や母親にまで不潔でだらしない女だと思われたけれど。
わたしの、生理への格闘は完全なる敗北で終わったのである。
今になって生理を理解した。これって、「敗北」だろうか?
22歳になった今は少し分かってきた。
頭は痛いし、身体はだるいし、お腹は死ぬほど痛い。
けれど、生理が順調に来てるっていうのは自分が健康な証拠。自分が大人になった証拠。
いつか、自分が、好きな人が出来た時、恋愛して、セックスをして、それから大切な子供を作ることができるってこと。
それに、生理が終わったあとの気分の安定と体調の良さと、ダイエットがするすると上手く行く感覚は、生理が無いと味わえないものだ。
それに、生理って、ピルってものを飲むことで軽くすることもできるんだよ。
こんなことを思うようになったわたしは生理に敗北したのだろうか。
パンツを汚しまくり、自分の性と無駄な戦いをしていたわたしも大人になった。
今や、アプリで、期間を予測し、カロナールで疼痛コントロールを完璧に行うことができる。仕事だって、課題だって、生理と被らないように考えてこなせる。
これは、生理への勝利だと言っても良いのではないだろうか。
これは、生理に対しさまざまな感情を抱き、やっとのこと生理と共存できるようになったわたしの、くだらない、ささやかな生理との格闘の話である。