私にとっての「元気」とは何だろうか。
元気の定義は、人それぞれで、「あの人元気がないな」と思っても、案外相手は元気だったり、逆に「あの人元気そうだな」と思っていても、元気ではないこともある。
他人が元気であるかを見分けることはできないかもしれないけれど、自分にとっての「元気」について考えてみようと思う。

仕事に没頭する毎日は人間関係もハードで、適応障害と診断された

「自分が元気かどうか」について考えるようになったきっかけは、2018年の冬に、適応障害と診断されたことだ。原因は職場の人間関係と長時間労働による過労だ。
当時、私は都内のホテルでサービススタッフとして働いていた。

大学を卒業して、すぐに正社員として働き始めた。ホテルで働くことを大学時代から夢見て就職活動をしていたので、憧れの世界で働けていることがとにかく嬉しかった。

勤務シフトはハードで、朝9時から夜11時まで働いて、仮眠室に泊まって、次の日朝7時から働くというハードすぎるスケジュールをこなすことが多かったけれど、それすらやりがいを感じていたし、とにかく仕事に没頭する毎日だった。

ハードだったのはシフトだけじゃなく、人間関係もハードだった。先輩や上司からひどいことを沢山言われた。些細なことで、「お前、いい加減にしろ」や「とろいんだよ」などと言われることは日常茶飯事だった。職場の片隅でひとりこっそりと泣いたことは数えきれない。

今考えれば、私の心と体は全然元気じゃなかったと思うけれど、あの頃の私は元気だと信じて疑わなかった。会社に普通に出勤できていたし、私は元気だと言い聞かせることで自分を奮い立たせていたのかもしれない。

そんなハードモードで仕事を続けているうちに、心身の異変を感じ始めた。

自分が心の病気になるなんて…。でも、どこかでホッとした自分もいた

私は、どれだけハードな仕事をしていても、休日は外出することが大好きだった。電車に乗って、ひとりでカフェ巡りに出かけたり、友達と食事をしながら他愛もない話をしたりすることを生きがいにしていた。

遊びだけじゃなく、自分磨きの一環として料理教室にも通っていた。そんなちょっとした息抜きの時間が、私の心を支えてくれていたのだ。

しかし、2018年の秋、今までの自分と明らかに違うことに気づいた。
仕事がどれほど忙しくても、休日は元気に遊びに行くことを生きがいにしていた私が、休日に家でずっと寝ていることが多くなった。外に出る気力がなくなっていくのを感じた。

異変はそれだけではない。会社に行くのが怖くなり、当日欠勤することが増えていった。サボって楽をしたいというより、仕事に行きたいと思っているのに、体が動かなかった。普段なら家でメイクをしているうちに、今日も仕事頑張ろう、と思えるのだが、メイクをする気力さえ出なかった。

また、会社で上司や先輩に理不尽なことを言われて、涙が止まらなくなることが以前よりも増えていった。仕事だから、と自分に言い聞かせていたが、これまでの自分と何かが違うと感じた。

そんなことが1ヶ月位続いたので、なにか自分の心に異常があるのではないかと思い、心療内科を受診した。仕事に行くのが怖いこと、ちょっとしたことで涙が止まらないことを医師に伝えた。すると医師は、「適応障害による抑うつ症状ですね」と私に言った。

自分が心の病気になるなんて、想像していなかった。けれど、どこかでほっとした自分もいたというのが正直な気持ちだ。自分が怠けている訳ではないんだ、そう思ったら何だか心が軽くなった。

地獄のような日々を乗り越えて、今は「元気です」と答えられるように

適応障害と診断されたけれど、ホテルの仕事は大好きだったので、医師と相談して、定期的に通院しながら続けていくことにした。
でも、2019年の9月、会社に行くのが怖くなり、布団から出ることができなくなった。次の日になったら出勤できるかも、と思ったけれど、どうしても無理だった。そして、私はそのまま休職して、その2ヶ月後に退職した。

休職期間は本当に辛かった。朝起きられないし、毎日死にたいという気持ちでいっぱいになっていた。家のベランダに出て、「ここから飛び降りることができたらどんなに楽だろう」と何度も考えた。
でも、信頼できる心療内科の医師やカウンセラーがいつも味方でいてくれたおかげで、何とか思いとどまることができたのだ。この期間が、私にとって人生で一番苦しかった時期かもしれない。

そんな地獄のような日々を乗り越えて、約2年が経った。この間、紆余曲折あったが、「元気ですか?」と誰かに聞かれたら、「元気です」と答えると思う。
理由は、色々なことに意欲的に、ワクワクした気持ちで取り組むことができているからだ。

お気に入りのカフェで過ごすひとときや、ヨガの練習に打ち込む時間が、私の心を活性化させてくれる。
もちろん、良いことばかりの人生ではないけれど「嬉しい」や「楽しい」という気持ちを心の底からしっかりと感じることができることが、私にとっての「元気」だと思っている。