皆さんは、元気というのがどんな状態かじっくり考えたことはあるだろうか。
大人になるにつれ、私の中で元気の定義が大きく変化してきた。
幼少のころは、元気とは、身体がのびのびと動かせて、走り回れることだと漠然に考えていた。つまり、誰の目にもはっきりとわかる表面的な元気を。
身体は健康体であっても、心が疲労を重ねていたら、元気とはいわない
しかしながら、それは模範解答ではないことに気がついた。本来、元気というものは、気持ちのモトと書いて元気という。ここでより深く掘り下げていこう。
身体はいくら健康体であっても、肝心な心が疲労を重ねて軋んでいたら、それは元気とはいわないのだ。特に日本社会では、学校や会社を休むことをあまり良しと思わない風潮がある。だからこそ、休むときはいい訳を考えて、申し訳なさそうに連絡する。
これでは、気持ちをいつ回復させて元気になればいいのだろうか。
海外では、家族旅行に行くという理由で休みを先生や上司に堂々と話すというのに。
私は今までの人生においてまだ20数年しか生きていないが、心がしんどいにもかかわらず、身体は健康だから無理をして周囲に元気アピールをしていた時期があった。
顔で笑って、心では大雨に見舞われた。
周りに気遣って、元気だよと言えば言うほど、どんどん気持ちの栄養素が腐敗していくのを感じた。ショーウィンドウに映る自分が別人のようだった。同じ風景だというのに日増しにモノクロと化していく。
これではダメだと思い、一度携帯の電話帳やラインをリセットしてみた。また、外出の際はあえて、携帯を持たずに出かけて、大好きな神社や自然の宝庫である公園に出かけた。
最初は、不便に感じたが、次第にその環境に慣れてきて、気づいたら心から笑える様に回復していたのである。
その瞬間から、普段歩いている道端の小さな花が美しいと感じたり、空が綺麗だと感じたりする様になった。
こんな時代だからこそ、シンプルイズベストの考えで気持ちを元気に
今の世の中は、さまざまな刺激に囲まれていて、街自体が夜も眠ることを知らない。
利便性という名の乗り物に乗車した私たち人間は、身体というよりも心が疲労しやすくなってきているのではないだろうか。
得意な人間観察をする機会に触れると、俯いている人が実に多いこと。仮に目線がドンピシャで合っても1秒以内に目線をそらされる。みんな何かに追われている気がしてならない。物や情報の波で溺れているこの自体がさらなる疲労を呼び、元気でなくなることに拍車をかけている。
そんな時代だからこそ、あえて、なにかをしないとか、辞めてみるというのが、一番シンプルかつ楽に気持ちを元気にさせ、笑顔で過ごすコツであろう。
心からの本当の意味での元気になるために、そして維持するために。シンプルイズベストの考え方が今の私たちひとりひとりに求められている生き方なのかもしれない。
どうか皆様も心から笑って元気に過ごしていただきたい。
今日もクライアントの声に耳を傾けながら、私は窓の外の陽気な子供達と彼らを照らす太陽をみていた。