私が謝りたい相手は、自分の心です。

中学生の頃から夢見ていた教師になるということを実現し、忙しい毎日を送っていました。月80時間の残業が常態的で休日出勤も多くある環境でした。
それでも、子ども達は可愛かったし、夢見ていた仕事に就けたのだからと自分を鼓舞して日々過ごしていました。

いよいよ自分は限界なのかと気付いた

自分に異変を感じたのは、社会人2年目になってから。終わらせても、終わらせても、終わらない仕事量に肉体的にも精神的にも一杯いっぱいになっていました。

それでも私の脳は、[他の先生は普通にこなしているのに、自分だけ休むわけにはいかない]と主張し、鉛のように重い身体を動かして出勤しました。脳はまだまだ頑張れと言うけれど心が追いつかない、そんな日々でした。
朝起きるのが辛い、食欲がなくなる、今までしなかったようなミスが増える…。耳が聞こえにくいし、息がしづらいし、原因の分からない発疹が出始めました。

心で感じていたことがいよいよ身体に出るまで自分は限界なのかと気付くと同時に、目に見える形でそれが出てきてくれたからこそ、これでようやく休めると安堵する心がいました。

まずは何よりも、自分の健康が第一

お医者さんには、適応障害だと診断されました。それから数ヶ月間の療養休暇に入ることになったのです。
限界まで追い込んで仕事をしていた時は湧き上がってこなかったけれど、この休暇中は色んな感情が心に戻ってきてくれました。

「心身に支障をきたすまで追い込んで、何のために仕事をしているのだろう。」
「自分が心身ともに健康じゃなかったら、生徒のことも救えない。まずは何よりも、自分の健康が第一。」
「自分が死ぬまでずっと一緒にいてくれるのは自分自身なのに、なんで自分をこんなにぞんざいに扱ってきたのだろう。愛する人々に愛情を持って接するように、自分にも優しくしてあげよう。」

心からそう思えるようになりました。
この療養休暇で心身ともに驚くほど回復し、明日学校を退職することにしました。

夢や信念でがんじがらめになっていた心が解放された

今まで教師になるためにたくさんの努力をしてきました。生きた英語を教えるために1年間の留学をしたり、高校生に向けたボランティア活動をしたり、教員採用試験のために猛勉強をしたり…。
教師になるということが学生時代の私の指標であったし、その夢を叶えるために頑張ることは何でも気持ちが良かったのです。
[時間も労力もお金もかけて叶えた長年の夢を手放していいのか]と脳は私に語り続けたけれど、私の心はもう決まっていました。

「自分をもっと大切にするために、教師を辞めよう。自分がもっと健康でいられて、心がわくわくする仕事を始めよう。」

夢や信念でがんじがらめになっていた心がようやく解き放たれた瞬間でした。

今までは、脳が言う[~しなければいけない][~してはいけない]ばかりを優先してきました。でも、これからは「~したい」「~したくない」という心の声にも耳を傾けてあげようと反省しました。

今まで聞こえないふりをして、押し殺して、痛めつけて、本当にごめんね。
それでも、まだそこにいてくれて、ありがとう。
これからは、わくわくする人生を一緒に歩んでいこうね。