“あなたらしく、そのままでいいの。”
“あなたのペースで進めばいいの。安心して。”
深夜0時にYouTubeから聴こえたそのメッセージは、18歳の女の子の優しい歌声に乗って心にじんわりと広がり、涙が止まらなかった。
2020年、冬。
気付けば適応障害になって半年が経過していた。通院しているメンタルクリニックの先生から「適応障害はその原因となる物事から距離を置けば良くなるからね」と言われていたが、完全に回復したとは言えない状態が続いていた。
私が適応障害になった主な理由は仕事。診断が下されてすぐに休職し、その後退職して無職となった。病院の先生が言っていた通り、発症の原因となった仕事から離れてみると、死にたい心に悩まされる日は明らかに減ったし、興味を持てなくなっていた趣味にも取り組めるようになったし、新たな趣味ができて穏やかに過ごせる日も増えた。
友人のSNSがあまりにも眩しい。私は価値のない人間だから
一方で、24歳無職という肩書は「周りから取り残された社会不適合者」という自覚を嫌というほどさせられる。友人たちが仕事後の楽しい飲み会をストーリーにあげるInstagramは見られなくなった。「仕事しんどいけどなんだかんだ楽しい!」と呟くTwitterも見られない。「営業がうまくいって1案件獲得したよ!」と毎回報告してくれる大親友のLINEさえも、返信ができなくなった。
楽しい飲み会をシェアする友人も、仕事に対する想いを投稿する友人も、嬉しかったことを共有してくれる友人も、誰も、何も悪くないはずなのに。
悪いのは、みんなのように社会の歩調に合わせて頑張れなかった私だけ。悪いのは、いつまでも病を理由にして、甘え逃げている私だけ。穏やかな日も、突然「私は価値のない人間だから生きてはいけない」という思考に支配される。日付が2020年12月2日になった瞬間も、この死にたい心に支配されていた。
私はそのままでいい。優しさに触れた深夜0時
夜は眠れないからスマホでYouTubeを観る習慣がある。12月2日の深夜0時も、死にたい心に抵抗しながら布団に潜り込み、いつものようにYouTubeを開いた。すると、登録しているチャンネルの新着投稿を知らせるマークが目に入った。一覧を見てみると、NiziUがデビュー曲「Step and a step」のMVを公開したらしいことが分かった。
熱狂的なファンではないけれど、在宅勤務をしていた頃にテレビでよく目にしていたのでチャンネル登録していた。特に観たい動画もないし、とりあえず観てみるかと思い動画を再生した。とても可愛らしい衣装に身を包み、笑顔で踊り始める10代後半の女の子たち。自分にはない人生への希望のようなものを感じて少し辛くなり、再生を止めようとした瞬間、彼女たちは歌い始めた。
“あなたらしく、そのままでいいの。”
“あなたのペースで進めばいいの。安心して。”
透き通るような声で、力強くも優しく、語りかけてくれているかのようだった。「頑張って」でも「逃げるな」でもなく、悩み立ち止まる人をギュッと抱きしめてくれるような言葉。
他人との競争にさようなら。私らしい道を進んでいきたい
同年代の子たちのように頑張れなかった。周りの友人たちより一歩でも先を走ることを生き甲斐としてきたのに立ち止まってしまった。それだけでなく、走ってきた人生のトラックを外れて、未だにどこのトラックも走り始めることができず、一人場外でうずくまっていた。
そんな私の背中にそっと手を添えて声をかけてくれているようなこの言葉は、どこまでも温かくて、泣き疲れるほどわんわん泣いた。
頑張ってと言われても頑張れなくなっていた私は、NiziUのこの言葉に触れた翌朝から、なぜか頑張る意欲がわいてきた。頑張るといっても、周りから見ればとても小さなことだ。料理をしようとか散歩をしようとか、元気だった頃に描いていた物書きの夢を追いかけてみようとか。
でも、それでもいいと思えた。
人生は、他人と競争するマラソンではないし「このトラックを走りなさい」と決められてもいないのだから。道端の花を摘んだり草原に腰を下ろして空を見上げたり、走りたくなったら全力疾走したり、そんな自由な歩み方が、私の人生だと思っている。