ダイヤモンドプリンセス号がニュースになっていた頃、私は雪深い北国から飛行機に乗って大都会横浜に来ていた。大学時代の友人の結婚式に参加するためだ。
巷ではマスクの品切れが相次いでいたが、インフルエンザのように、数ヶ月もすれば流行は落ち着くのだろうと誰もが思っていた。披露宴では食事もお酒も通常通り提供され、デザートビュッフェに喜ぶ参加者。私にとって最後の、当たり前の結婚式となった。
激務で会う度に疲れた顔の彼、コロナ。会いづらい状況が重なっていく
私にも恋人がいる。
同じく大学時代の同級生だが、私達が付き合っていることは誰も知らない。皆が私達のことを仲のいい友人だと思っていて、私達はその環境を壊したくなかったのだ。単純に気恥ずかしかったのもある。
大学を卒業すると私達は遠距離恋愛となった。連絡不精な私達でも、2ヶ月に一度直接会うように心掛けた。彼は読書が好きなのでよく本屋に行った。どのデートも二人だけの秘密だ。静かで穏やかな時間が好きだった。
だが、少しずつ状況は変わっていく。
彼の就職先は激務だった。
会う度に疲れていく顔に気づきながら私は何もできなかった。最低限の連絡しか取れなくなり、やがて会う約束をしてくれなくなった。
人に会いたくないそうだ。友人の結婚式はその頃だった。会いたくない気持ちにコロナという会いづらい環境が重なってしまっていた。
彼は結婚式に出席しなかった。
やがて、緊急事態宣言が発令され世間は自粛ムードとなる。
彼は東京へ転勤となった。
転勤を聞いて待ち合わせ以外で初めて電話したのかもしれない、久々に聞いた彼の声に泣いてしまった。
彼の困った顔が目に浮かぶ。彼は私が落ち着くまでずっと自分の話をしてくれた。
話題がなくなり無言になっても電話は切らなかった。無言の電話の向こう側で本のページを捲る音がした。なんだか懐かしかった。静かな夜に、本のページが擦れる音を聞きながらその日は眠った。
連絡するのを遠慮していたけど、彼にさみしいと伝えることにした
彼が転勤してから、私は彼の激務を知っていたので連絡するのを遠慮していた。彼は人に会いたくないのだから、自分も連絡を控えるべきだろうと。
しかしある時、私が限界になった。いつまで我慢すればいいのか。周りの友人が恋人と同棲し、結婚して子どもまで産まれたのに、ひとり我慢している自分がバカみたいに思えた。
我ながら健気すぎる。そこで、彼にさみしいと伝えることにした。「さみしいのにずっと我慢してるから慰めろ」と。
すると、週末は読書しているからいつでも連絡していいと言われて拍子抜けしてしまった。遠慮なんて必要なかったのか!勝手に遠慮していた自分がそれこそバカだったのだ。
連絡の機会は圧倒的に増えたが口下手な彼はLINEの返事すら素っ気ない。返事はいつも、「よかったね」「なるほど」といった単語ばかり返ってくる。
読書好きならその語彙力でもっとまともな返事をしてほしいが、仮に連絡が平日でも必ずその日に返事をしてくれるし、大学の頃からこんな感じだったので許している。やはりこの人は会わないとコミュニケーションが難しい。私達は元々会話主体ではなかったのだから。
そんな時、看護士の友人がワクチンを打った話をしてくれた。終わりの見えないコロナ禍にほんのすこし少しだけ希望が見えた。
私達は私達の当たり前を取り戻すために、ワクチンを接種する
お喋り好きとは言えない私達にとって、コロナ禍の「会えない」はかなり痛手だった。
世の遠距離カップルは毎日連絡するだとか、テレビ電話を使うだとか、会えずともコミュニケーションの手段を少なからず持っているが、もし自分達がやるとなったらストレスでしかないと確信している。今でも新作ドーナツくらいしか話題がないのだから。
このさみしさを埋めるには、やはり会うしかないのだ。
最近、私の手元にコロナワクチンの接種券が届いた。彼も職場で職域接種が決まったらしい。
私達は私達の当たり前を取り戻すためにワクチンを接種する。ワクチン接種が「会いに行くこと」の免罪符になるかすらわからないが。他に手段がないのだ。
このコロナ禍という危機で沢山のことが「不要不急」とされた。不要なことなんてひとつもなかったのに、ウイルスによってそれを自分で決める権利すら失った。
きっとワクチンが行き渡ってもコロナ禍は終わらない。インフルエンザのように、共に生きていくしかないのだろう。
しかし、このワクチンが人々の閉塞感を穿つ一手であるのは確実だ。マスク越しでも、消毒必須でもいいから、手の届く距離に好きな人がいてくれる世界が戻ってほしい。