私は清い体だ。正直アラサーの処女だ。
今までそういう人はいなかったのかと聞かれることも最近増えてきた。だんだん私は歳をとってきて、昔の先人達がため息を吐きながら呟いたり書籍に愚痴をこぼしたりしていたのを体感するようになってきた。
私は清い体だけど、そういう雰囲気なろうとした人がかつて一人いた。
私はその恋がずっとずっと忘れられない。その話をしようと思う。親にも兄弟にも言えなかった。私だけの恋の話だ。

同じ事務所に配属になった少し猫背で、静かで、穏やかな人に恋をした

20歳の頃、私はブラック企業に滑り込みで就職した。何度も就職試験を受けたくなくて、惰性で応募したところだった。夢を持って就職したが、蓋を開けたら悲惨なところだった。
男女比が異様に偏っている会社だった。昇進できるのは男だけ、業務内容も性差が著しくある会社で、女の私は歯を食いしばってヘルメットを被り走り回った。最初は苦しかったし家に帰るのは終電なのが普通の日常。本当に苦しかった。
そんな日々で私は、適性を鑑みられて事務所に配置された。その時、同じように事務所に配置された人がいた。その人は古株で在籍年数もそれなりのものだったけども、人員不足の波に押されて事務所に配属されたのだった。

少し猫背で、静かで、穏やかな人だった。
最初の頃は、業務のことしか話すことはなかった。きっかけはもうはっきり思い出せない。三ヶ月くらい経ったら少しずつ喋るようになった。初めの何も喋ることがなかった頃と比べると信じられないくらいに話すようになった。
少しずつ少しずつお互い職場ということで、あまり深入りしない様に、でも、冬から春になって一斉に花が咲き誇るように私は恋をした。
最初はすごく穏やかな気持ちだった。全然燃える様な激しい恋じゃなかった。
少し手が触れるだけでもよかった。「頑張れよ」って肩に触れるその仕草だけですごく嬉しかった。

どちらかが動けば付き合える関係になれ、全て順調だと思っていたのに

何かあれば、すぐに声をかけてくれた。朝、後ろから「おはよう」って頭を撫でてくれるだけで1日頑張れた。仕事の休み時間では、「頑張ってるから」ってジュースを差し出してくれた。帰りが遅くなったら、自分の家と真逆なのに家まで送ってくれた。すごく小さいことでも胸がときめいたし、幸せだった。
入社当時は田舎娘丸出しだった私は、少しお化粧を頑張り始めた。髪も染めたり、癖毛を矯正したり、少し大人に見られるように爪にネイルもし始めた。飲み会があれば、少しでも可愛く見てもらえるようにスカートやワンピースを着て笑顔で話しかけた。好きな人のために自分ができる範囲の自己改造を頑張った。

たまのバレンタインやイベントの時は彼だけ特別扱いした。有象無象の人たちにはお得用パックのものを平置きで、彼には少しいいものを手紙を添えてこっそり渡した。多分、彼も私に好意を持ってくれてた。あとは、どちらかが動けばそういうお付き合いができる関係になったと思う。
全てがうまくいっているように思えた。けれども、そうはうまくいかなかった。
彼以外の人間関係で私は少しトラブルになった。人数少なくても、女社会はやっぱり女社会なのだとすごく怖くなった。そのことは今でも私の中でトラウマの様になっていて未だに消化できない部分もある。
数少ない女子社員のなかで少し孤独となった私。1ヶ月ぐらいするとそれも落ち着いたが、メンタル的に落ち込むことが多くなった。

関係を自分で全て切ったのに、冷凍保存された彼への恋だけ心に居座る

彼も色々気にしてくれたが、そこに追い討ちをかけるように望まない部署への異動の命令が出た。私はもう辛くて、死にたくて、全部投げ出した。本当にあの時は最悪なことしたと思う。
体が動かなくて、ずっと壊れた水道みたいに涙が止まらなかった。普通に起きてるのに突然意識がなくなったりした。一人で生活することが困難になり、病院に緊急入院した。
私はSNSで繋がってる誰もと会いたくなくて携帯が見れなくなった。もちろん、彼のも。
全部切った。その当時は彼のことすら、何もかも苦痛だった。
そうしていろんな関係を自分で切ったのに、恋はその場に冷凍保存された。

彼のラインは未だに見れない。だから私の恋は、後にも先にも動けない。生殺しの恋。私か彼が動くことで動ける恋は、彼という役者を失ってストップした。永遠に。
捨てればいいのに、捨てられないまま、数年経った。その後も何人か好きになろうとした人はいたけど、無意識に彼を思い出す。
何も激しいことも何も進むこともなかったのに、私の心に居座る彼への恋はどうしたら終われるのか、わからないまま。
今日も私は綺麗な体を持て余している。