わたしと彼のコロナ禍の恋愛には、以前と比べて大きな変化があったかと聞かれれば、いいえ、と答えるだろう。
共に暮らして七年。若いうちに結婚がしたかったわたしと、あらゆる条件を満たすまでは入籍したくないと言う彼は、世間一般で言う「婚期を逃したカップル」だった。

長い期間同棲していると、周囲からは「結婚してるのと変わらないよね」とよく言われる。
生活面だけを見れば確かにそうなのだけど、当事者としては、正式な手続きを踏んでいないという一点だけで、感じるものがまったく違う。
彼を旦那と呼ぶことはできないし、何かのサイトに登録するとき、既婚という選択肢を選べない。
わたしはあくまで、独身女なのだ。

三十路を近くにしてまだ入籍しないという現実に甘んじているのだから、わたしは彼に多少なりともわがままを突き通せる立場にある。
そんなふうに思っていた自分を、コロナ禍にしてはじめて目の当たりにした。

コロナ禍である日気づいた、小さな違和感

幸いコロナ禍に大きな影響は受けない職場に勤めていた彼は、以前と変わらず週五で毎朝出勤していく。
わたしはパートを転々としていて、昔はフルタイムだった勤務シフトも、年々短時間で済む職場を選ぶようになった。
これはコロナ禍とは関係なく、単に働きたくないというわたしの甘えによるものだ。家事をこなしていれば彼からは文句を言われることもなく、世間がどれだけコロナ禍に翻弄されていようと、わたしたちには関係のないことだと思っていた。

けれどある日、わたしは小さな違和感に気が付いた。
元々アニメや漫画が好きだったわたしは、毎週土曜日は夕方のアニメを見てから家事に取り掛かっていた。それがその頃、彼からの帰宅連絡がほとんど定時ばかりになっていたので、アニメ終了後では間に合わなくなっていたのだ。
別段、それが嫌だったわけではない。今は配信サービスもあるし、彼が定時に帰ってくることは他の曜日でもままある。
最初のうちは気にせず夕飯の準備を早めに行っていて、洗濯や掃除も、これまでの七年と変わらずこなすことができていた。

しかしわたしは、だんだんと、少しずつ、窮屈さを覚えていった。
休日になると彼はよく自分の趣味のために出掛けていたので、わたしは自分ひとりの時間を多く持てていた。好きなアニメも、漫画も、小説も、好きな時に楽しめる。時間内に家事を終わらせれば、あとは自由だ。
そんな生活を七年も送っていたものだから、彼が休日に在宅するようになり、仕事帰りに遊びに行かなくなったことは、わたしの生活観念をひっくり返した。

毎日、毎日、わたしは彼の視線を、彼はわたしの言葉を恐れる

家事をやる時も、趣味を楽しむ時も、彼がそこにいる。文句を言われているわけではないし、急かされているわけでもないけれど、そこに視線があるというだけで、わたしは勝手に見張られている気分になった。

それは直接的にわたしを鬱々とさせ、彼に理不尽な苛立ちをぶつけることが増えていく。
わたしのペースでやればいいと言ってくれている彼に冷たく当たり、あなたが家にいるから家事が滞る、なんて暴言を吐いて、いろいろなことを疎かにするようになった。

毎日、毎日、わたしは彼の視線を、彼はわたしの言葉を恐れる。
それは決して大きくはない変化だったけれど、わたしたちの間に流れる空気には、小さくて深い歪みがいくつも出来ていた。いや、見つかったという表現の方が正しいかもしれない。きっとずっと、そこにあった歪みなのだ。

ある朝ニュースを見ながら、ふと強い絶望感に襲われて…

そんな一年が続いた。
そうしてある朝、雑な朝食が並ぶテーブルで、ワクチン予約開始報道を見た。会話もなくぼんやりとした朝に慣れてしまったわたしは、それを見て「もしかすると」と内心で呟いた。

もしかすると、世界は快方へ向かっているのだろうか。
傷だらけになってしまったわたしたちを置いて。
それなら、わたしたちは、どうすればこの歪みを正せるのだろう。

コロナにはかかっていないけれど、大きく病んでしまったわたしたちの関係性は、もうワクチンなんかではどうにもならない。
じわり、と目頭が熱くなった。淡々と流れるニュースを見つめたまま、ふと強い絶望感に襲われて、思わずすがるように彼を見た。

あんなに恐れていた彼の目を、じっと見た。
すると彼は驚いたように目を丸くして、しばらく硬直したあと、奥二重の目をふっと細めた。
それはひどく優しい笑顔で、今までわたしが見てきたものと何も変わらない。彼は、変わっていない。

そう気付いたわたしはとうとう涙を溢れさせて、目の前のぐちゃぐちゃな目玉焼きに向かって、小さく「ごめんなさい」と呟いた。
彼はわたしに目を向けたまま、「今日もごちそうさま」と言った。
ワクチンよりも遥かに有効性の高い言葉。わたしの胸には、感謝と罪悪感と愛おしさが一気に押し寄せた。

彼はわたしを気にかけている様子だったけれど、仕事に遅らせるわけにもいかないので、「とにかく行って」と見送る。
鍵のかかっていない玄関ドアを一枚挟んで、彼の自転車の音がする。
ぼたぼたとみっともなく涙をこぼしながら、今日は「おかえり」と笑って出迎えようと心に決めた。