好きとは何か。どれくらい「好き」なら「恋」になるかが分からない

終わらない恋って何だろう。私には想像が出来ない。
「好きな人は誰?」と訊かれたら、言葉通りに受け取って「好きな」アーティストの名前を言ってしまうだろう。

そもそも、「好き」とは何か。どれくらい「好き」なら恋心になるのか。「好き」に量や質はあるのか。どんなに考えても分からない。答えに辿り着かない。
だから、少しばかり「恋」という感情に憧れる不安定で微妙な気持ちを、ここに書こうと思う。

恋がテーマの曲を歌うとき、「自分とは無縁」と切り離してしまった

私は高校生の頃に声楽を習っていた。声質はアルト。女性は高い声のソプラノが多いから、低い声のアルトは希少だと言われた事がある。
コンクールでは落選の常習犯だったが、歌唱力に関係なく歌うのは大好きだった。ある時からオペラのアリアを歌わせて貰える事になり、最初に歌ったのが「恋とはどんなものかしら」という曲。

モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の劇中、ケルビーノという少年が想いを寄せる大人への恋心を歌うという内容だ。
この時、私は恋そのものに全くと言っていい程興味がなかった。歌にも感情移入が出来ず、かといって興味を示す事もなく、「これは登場人物の気持ちを歌っている、自分とは無縁」と切り離していた。
今思うと、私はこの時点で周りに遅れを取っていたのかもしれない。

大学生になって、恋をした事がないことに焦っている自分に気が付いた。
恋をするのに焦る必要なんてないと分かっていながら、内心「自分には魅力がないのでは?」と考え込んだりもした。

周りには先輩とか友達とか、気になる人はいるけれど、どんな人を素敵だと思うか、自分なりに考えてみたけれど、結局「憧れ」や「尊敬」で止まってしまってそれ以上の感情を抱く事が出来ない。
ここで二つ分かったのは、恋に恋をしている事、そして恋を恐れている事だ。

分からないことから始まる恋もある。自分から学ぶ姿勢も忘れずに

21年間生きてきたが、恋は無縁なものなんかじゃなかった。
サークルでラブソングに乗せてダンスを踊る時、私は「恋する若者」にならなくてはいけない。それ故に「恋心」の表現にはとても苦労した。

本当の恋は、想像するだけでは分からない。漫画やゲーム、アニメやドラマで描かれる恋愛描写だって、どれくらいリアルなのかよく分からない。実らない片想いでも構わないから、一度は恋い焦がれてみたいと思っている自分の本音に戸惑う事もあった。

だけど、その対象は一体誰なのだろうか。答えは出ないまま、時だけが流れた。
今でも誰かと親しくなる為に自分から一歩を踏み出すのが怖い。

「恋は盲目」という言葉があるが、本当に恋をする事になったら自分はどうなってしまうのか。恋をしたら、もっと魅力が増すのではないか、はたまた日常生活に支障をきたしてしまうのではないか?

色々悩んでいても仕方がない。堂々と開き直ってSNSに呟いてみた。
「べ、別に彼氏が欲しいわけじゃないんだからねっ!」と。
本心なのかそうじゃないのか、それは自分にも分からない。

分からなくてもいいんじゃないか。分からない事から始まる恋もありだと思いたい。
誰かが教えてくれるのもいいけれど、自分から学びに行く姿勢も忘れずに。