高校生の頃、私は進学校に通っていて、学校でバイトが許されていなかった。だからしなかった、という訳ではなく、ただバイトをしたいと当時の私は思わなかった。
そんな私が、高校を卒業して1年もしないうちに、専門学校に通いながら毎日バイトを詰め込む日々を過ごしてた。お金が欲しかったからじゃない。ただのバイトであったが、誰かに必要とされる、という事が嬉しかった。
必要とし、成果を見てくれる人がいる事が嬉しくて、毎日働き続けた
今まで特別必要とされない人間だった、という訳でもない。でもバイトと言えど、仕事は仕事。そんな中で仕事面での成果を見てくれて、必要としてくれる人がいる事が嬉しかった。
朝介護のバイトに行き、専門学校で授業を受け、学校が終わったらまた介護のバイトに行き、終わったら居酒屋へ行く。これが私の毎日だった。
実家から離れていた為、しばらく帰ってない私を、親は心配しながらも応援してくれていた。
学校を卒業して、社会人になってからは仕事一筋で頑張っていたが、仕事にも慣れた2年目には、仕事と掛け持ちで居酒屋のバイトをしていた。
毎日が忙しかった。それでいて充実していた。
休みが欲しいとも思ったりしたけど、それ以上に職場の上司や周りの人達が「居てくれて助かるよ」「要領がよくて本当にいい人材を見つけたなぁ」と言ってくれるので、私は更に頑張った。
あの時帰っていたら。おじいちゃんの死をきっかけに考える仕事の仕方
実家に帰るのは年に1~2回。お盆と年末年始に帰るか帰らないか程度。
今年の夏は帰ろうかと考えていた時、親から連絡があった。
「おじいちゃんの体調がよくありません。帰って来れますか?」
これは長期休みを待たずに帰らなければならない。そう思ったが、親に数日してから連絡すると「今のところ大丈夫だよ」と言われ、私は週末帰るのを辞め、お盆の長期休みに帰ればいいと考え直した。
私は変わらず仕事を一生懸命頑張ったが、この時帰ってれば良かったと後悔する。
お盆に休みに入る1週間前に、突然おじいちゃんは亡くなった。
私が大好きだったおじいちゃん。1番面倒を掛けてくれたおじいちゃん。
そんな大事な人の最後に私は会えなかった。
いや、元気な時に会いに行こうと思えば行けたのに、会いにいかなかった。
仕事なんて、休もうと思えば何時でも休めたんじゃないのか?
この時、私は初めて仕事とは何なのか、立ち止まって考えた。
仕事が忙しく、ダイエットをした訳でもないのに7キロ体重が落ちていた。
生理周期も不安定になったし、生理痛は昔よりひどい。
仕事は楽しいし、毎日が充実していると思っていたが、良く考えれば体に無理がきていた。
若さと気力だけが私を支えていたのだ。
だがこんな働き方、長くは続かない。
おじいちゃんの死を目の前にして、私は今までの自分の仕事の仕方、生活の仕方は良かったのかと疑問に感じた。
自問自答をして出した答えは「家族と自分以上に大切な仕事はない」
大事な人に会える時に会わないで、仕事をするのはいい事なのか?
家族以上に、仕事は大事な事なのか?
私が居ないと仕事が回らない、と思い込んでいたんじゃないか?
体調を崩して自分が倒れたらどうするのか?
何でこんなに根を詰めて仕事をしてるのか?
沢山の自問自答をして出した答えは「家族と自分以上に大切な仕事はない」という事。当たり前だけど、私は忘れていた。毎日忙しいと言い訳にして、遠く離れた家族の元へ帰る事が億劫だった。
何もない普通の自分が、誰かの役に立ててる事が嬉しかった。
私はダブルワークを辞めた。休める時に休める環境を作り、なるべく実家に帰る時間を作るようにした。おじいちゃんに会えなかったのはとても悲しい出来事だったが、おじいちゃんが私に考える時間をくれた。
初めて身近な死を実感して、私は気付いた。
何が大切なのか。限られた時間の中で、誰と過ごす事が幸せなのか。
前に進むだけがいい事でもないし、今自分が向いてる方向が前かもわからない。
1度立ち止まることも、時には必要なのだと。