弟に障害が見つかって以来、歩みが止まりがちになった。
弟は統合失調症。たまに叫んだり幻聴や幻覚がある。近所の人達に迷惑をかける時も多い。ボール遊びをする子のボールの音が気になり警察に通報したり、大音量で音楽をかける時もあり、注意すると暴力や暴言が酷くなるので警察の世話になる事もある。
私が警察に出向く事もあれば、私服と自家用車で警察の方が来てくれる時もある。夜中に防弾チョッキを着てパトカーのサイレンを鳴らさずに来てくれた時もある。
警察の方は、すっかり顔見知りになり、様々な話をする間柄になった。悩み事も聞いてくれてアドバイスしてくれるので本当に有り難く感じている。
自分だけ幸せになってはいけないと、未来への歩みが止まる事がある
障害のある兄弟がいる時、世話をする兄弟の事を「きょうだい」と平仮名で書いて、そう呼ぶらしい。
「へえ私は、きょうだいかあ」
何か特別な存在になった気がした。
気難しく気分屋の弟の世話は大変だ。急に怒り出したり叫んだり妙な事を言う。スーパー等で妙な行動が出ると非常に慌てふためいてしまう。
私は女友達みたいに自由に恋愛して幸せな結婚を夢見ていた。しかし残念ながら歩みが止まる事が多い。何だか幸せになっては、いけない気がする。
「幸薄い人生なのかな」
弟は弟、私は私だから気にせず過ごせば良いと言う人もいるけれど、どうしても気持ちにブレーキが、かかる。母も弟の世話は大変だから私を頼りにしている。
私は昔から、家事の手伝いや弟の世話をしてきた。だから私が結婚して家を出たら母も困るだろう。そう考えたら自分だけ幸せになってはいけない気がする。
まるで頭の毛を剃って出家した人みたいだ。欲を捨て諦めて生きている。特に欲しい物もない。安上がりな女だ。自己犠牲と言うのも何だが、自分を無にして生きている。
思えるまでに何日もかかった「頑張ればいいことあるかも」に慣れた
初めは、しっくり来なかったが今では慣れたもので、自己犠牲も悦に入った。「頑張れば、そのうち良い事もあるかもね。徳を積めば今は大変でも、そのうち笑って過ごせる日が来るかもね」と思える様になった。思える様になるには何日も、かかった。
今は、とりあえず1日のうちで、たとえ1分でも微笑んでいられたら幸せ。小さな小さなミジンコ位、微小な幸せを大切にして生きている。
自分の爪切りや耳掃除や肌の手入れの時間がない時が多い。鏡を見て老けたなって感じる。
「この老け方は、やばい。こんなに早く老け顔になるなんて!私には若さがないわ!」
出家した女が、つぶやく。
テレビを観る暇がないから何年も観ていない。女友達がグループラインで流行りの歌手や韓国ドラマの俳優の話で盛り上がっていても、話について行けない。グループラインは気分転換の為に、やっている。話について行けないのは悲しいが仕方がない。弟の通院費用や薬代も高いからテレビの契約をやめた。削れる所は削って生活している。
幸せの価値観は人それぞれ。人と比べるのはやめて、自分の歩幅で歩こう
1つ変わったのは苦しい時は他人に相談出来る様になった事。恥も外聞も捨て去った。1人で何とかしようと思わなくなった。
歩みは、まだまだ止まりがちだが1歩ずつ、それが無理なら半歩ずつ前に進みたい。人と比べるのは、やめよう。幸せの価値観は人それぞれ。
弟や母が笑っていると私は幸せ。弟や母が、もちろん父もだが健康に生きていれば私は幸せ。健康は、お金では買えない最も大切な物。
明日は、どうなるか判らないけれど大地に足をしっかりつけて深呼吸して前向きに生きたい!