味のないぬるい味噌汁。スーパーの1つ60円のコロッケ。
子供の頃のわたしの身体を組成していたものたち。
毎日ここではないどこかへ行きたいと願っていた頃の、わたしの身体を組成していたものたち。

塩も砂糖も料理に使わないのに、なぜか食卓に並ぶ60円のコロッケ

母は毎日泣いていた。生きているのが苦痛だと言って、毎日誰かに電話しながら泣いていた。仕事中の父の携帯にだったり、遠く離れて暮らす祖母にだったり、精神科の先生にだったり。わんわん泣いていた。
少し大きくなった頃、「慟哭」という言葉を知って、母のためにある言葉だと思った。

彼女は、塩も砂糖も顆粒だしも、身体に悪いからといって料理に使わなかった。
ギラギラした瞳で、肉を食べないのが身体に良いらしい、と言ってきて、味のない野菜炒め(文字通り野菜炒め、キャベツ、生焼けのにんじん、焦げた玉ねぎ、それだけ)が毎日食卓に上った時もあった。
あとはそう、60円のコロッケ。塩も砂糖も自分では料理に使わなかったのに、なぜか毎日食卓に並んでいた、スーパーの古い油でぬらぬらと光る、60円のコロッケ。

包丁もガスコンロも危ないからと使うのを許されていなかった。彼女は、子供に迫る危険全てを排除しようと躍起だったから。
インターネットはまだ簡単にアクセスできる時代じゃなかったし、料理本なんて家になかった。調味料も。美味しいご飯が家で食べられるなんてこと、知らなかった。
毎日、ここではない家で生活する夢想をしていた、あの頃。毎日、学校の給食だけを心待ちにしていたあの頃。わたしは毎日元気がなかった。

宿題で作った味のついた料理に、これでわたしは救われると驚いた

小学校高学年になり、家庭科の宿題で「家で料理をする」というのが出たことがある。教科書通りのレシピで作りなさい、と。
驚いた。
味があった。
レシピ通りに手順を踏んだら、自宅のキッチンでは絶対に生み出されることがないと思っていた、味のついた食事というものが出来上がった。
驚いたんだよ。
これでわたしは救われる、と。
美味しいご飯が毎日食卓に上がる家庭で育った人には、全く理解してもらえない感覚だろうけれど。

大人になって、逃げるように実家を出てから、毎日自分のためだけに料理を作るようになった。インターネットが普及して、教科書以外にもレシピがたくさん見られるようになっていて、手順を踏めば美味しいご飯が出来上がる。
こんなに素晴らしいことはない。わたしが稼いだお金で買った食材で、わたしが買った調理器具を使って、わたしのために料理を作る。
わたしがわたし自身の手で、わたしを生かしている感覚。わたしを生かすのは、わたし。わたしを奮い立たせるのは、わたしだけ。60円のコロッケではなくて。

わたしがわたしを元気づけるため、塩も砂糖も使って手順通りの料理を

ああだめだ、もう消えてしまおう。ここではないどこかへ逃げなくちゃ。子供の頃から心のどこかにこびりついて離れないこの感覚。子供の頃、毎日の食卓に対して抱いていたこの悲しみ。毎日電話に縋り付いている母を見ては抱いていたこの感覚。彼女が死にたいと叫ぶと同時に、わたしの元気が消えていく感覚。

彼女とは今はもう離れて暮らしているけれど、古い油みたいにぬらぬらと、身体にこびりついて離れないこの感覚は、ふとした瞬間、いつだって台頭してくる。母と同年代の女性と関わる瞬間であるとかに。

ああもうだめかもしれない。

そういう時に、わたしがわたしを元気づける方法を、わたしはもう知っている。わたしを生かすのはわたしだけ。だから、手順通りに料理をしよう。塩も砂糖も使って、野菜炒めには肉を入れて、味噌汁には顆粒だしを入れる。わたしの元気のために。
さあ、スーパーで食材を買って帰ろう。夏野菜が旬だよ。オクラ、なす、ズッキーニ、トマト……ねえ、コロッケは見ちゃダメだよ。わたしが元気でいるために。