今年、わたしは初めて仕事から逃げた。仕事を始めて4年間、思えば一度も「できません」と言ったことがなかった。「できない」って言うなんて「私はできない人間です」と言うに等しい。そう思って、気を抜けばすぐ怠けたがる自分のお尻をぺしぺし叩いてやってきた。

最初の数日で違和感を感じた。居心地の悪さ。会話。咎めるメール

今年配属された部署は、私以外の5人が全員40代の男性チームだった。
長時間労働が当たり前で、朝から晩まで12時間以上、毎日その男性たちと過ごす日々。
張り切って仕事を始めたが、最初の数日で違和感を感じた。
最初は、居心地の悪さだった。私の机はその5人に囲まれるような場所にある。ずっと座っていると、お尻がむずむずし始める。周りは超人的な忙しさでひたすらパソコンに何かを打ち込んでいる。ふと顔を上げても仕事の話しかしない。

ああ疲れたな。おなかすいた。ふと、誰かに言いたくなっても、言える相手がいない。
日付が変わってもカタカタは続く。「帰っていいですか?」が言えずに私も座り続ける。
繁忙期だし、一番年下の自分だけ帰るわけにはいかないから。そう自分に言い聞かせるが、むずむずは続く。

次の違和感は会話。「俺、今月残業時間100時間余裕超えだわー。そっちいくつ?90?勝った(笑)」。その時間は、厚労省が定める過労死の危険性があるひと月当たりの残業時間「過労死ライン」をとっくに超えている数字だ。残業時間で勝ったらえらいんだろうか?あなたの下で仕事は一応きちんとやっているけど、なるべく早く帰りたい私はだめなんだろうか?
明確な指示がないまま長時間残され、「他に今できることは?」と尋ね続ける私に「仕事は自分で見つけるものだよ」。そうだけど、じゃあ、私たちはいつ休むの?

次は私のいくつかの行動を挙げて延々と咎めるメールだった。中には確かに私のミスもあったが、ほとんどは上司の勘違いだった。慣れない環境で一生懸命自分なりに仕事をしていたつもりで、実際、成果も上げていた。でも、私の行動が誰かをいらだたせたんだと思うと情けなくて泣いた。でも、どうして直接言ってくれないんだろう。

朝の電車で吐き気がするように。人の命をなんだと思ってるの?

この頃から、朝、通勤電車に乗ると吐き気がするようになった。会社の前のアスファルトの道は、いつも夏の太陽に明るく照らされていて、「ああきれいだな」と思うが、会社の中に光は届かない。すぐに飛んでくる仕事を必死にこなしているうちに、吐き気は麻痺していく。太陽がいつ沈んだのかも分からないままやっと仕事が終わり、外に出た瞬間、吐き気は戻る。そんな毎日の繰り返しだった。

なんとかしたくて自分なりに皆が順番に休める方法を考え、おそるおそる提案した。その場で否定はされなかったが、採用もされなかった。後から「そんなのできるわけないだろ」と言われていたのを知った。
別の部署には同情してくれる同僚はいた。でもいくら深夜までお酒を飲んで愚痴っても、解決策は見つからなかった。愚痴を言う自分のこともいつも嫌だった。

ある日、明日はようやく休みだ、と喜んで眠りにつこうとした午前0時ごろ、「やっぱり朝から出てきてくれる?」とメールが入った。一瞬で信じられないぐらいの怒りがわいた。
分かりました、と返したが、もう我慢できなかった。

次の日、言葉を選びながらも思っていることを伝えた。長時間労働はいつか限界が来る。これとこれの業務は削っても良いのではないか。あなたは上司だから、仕事量を適切に管理する力(責任)がある。怒りと緊張で声が震えた。上司は、表情を変えず言った。
「○○さんは意識高いんだね。人が死んだりうつになったりしているわけじゃないんだから」

人が死んでいないから長時間労働を続ける?死んでからじゃ、遅いんやで?人の命をなんだと思ってるの?

呪いを自分に言い聞かせていた。おかしいと思う私がおかしいんだから

忙しいのはみんな一緒だから。人間、耐える時も必要だから。他社に負けてはいけないから。俺たちの若い頃はこんなの普通だったから。この部署は今花形だから。まだ独身なんだから。休みなんてなくなって当たり前だから。

直接言われたり、風土として感じてきた価値観。いつのまにか私は、自分でもその呪いを自分に言い聞かせていた。おかしいと思う私がおかしいんだから。だって私以外、誰も私のように思ってないでしょう?
でも気づいた。そうやって働く自分はきっと将来、あの5人と同じになる。
大切な何かを忘れて自分をいためつけて、そんな自分に酔うことでしか満足感を得られない人。私はきっと将来、新しく仲間になった若く希望にあふれた後輩を見て「私たちと同じように働いてやっと一人前だぞ。同じ苦しみを味わえ」と思うだろう。
苦しむ後輩を見て、「頑張ってるな、うんうん」と満足するだろう。
その後輩ならではのしんどさを考えることはないだろう。

私は絶対に、そんな人間になりたくない。
だから、初めて「辞めさせてください」と言った。涙が出てしょうがなかった。「できません」なんて言いたくないという小さなプライドはとっくの昔にどこかに行っていて、ただただ辛かったから泣いた。
事情を知った外部の上司はすぐに理解してくれ、部署を移る手はずを整えてくれた。
「助かった」と思った。

シロクマをハワイに閉じ込めるところだった。私の感性は自分で守る

辞めてから気持ちに余裕ができ、会社外の友人と話すうちに、私が感じていた「おかしい」はたくさんの同世代と共有できると知った。これだけ過労死や過労うつで苦しむ人がいる中、そんなのは当たり前のことだった。でも、頭では分かっていたつもりでも、いざ自分がその場にいると、その違和感は急にへなへなと折れてしまっていた。
自分がこの部署に不適合なんだ、と思ってしまった。

ふと昔読んだ梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」の一節を思い出した。
「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」
私はシロクマをハワイに閉じ込めるところだった。

おかしいものはおかしいと言う。私の感性は自分で守る。だから絶対、逃げたことを後悔しない。