私が中学校時代に入部した華道部では、その年から生け花にかかる花の費用を抑えようと、1年生が園芸もはじめることになった。

1人だけの園芸になったけど、熱中して花を育てられるから嬉しかった

初めは、「園芸女子」なんて盛り上がっていたのだが(1年生は全員が女子だった)、防虫剤の匂いや泥まみれになる草むしりなど花を育てるには、様々な試練に耐えなければならず。キラキラしていた園芸ライフを想像していた彼女達にはきつかったようで、悪い先輩が、
「サボっちゃいなよ。あの先生トロイからバレないよ」
と言い出したのをきっかけに、みんなやめはじめた。先生は、新任で忙しくて園芸なんて見てなかったから、本当にバレなかった。
私1人になった園芸だが、小学生のころから植物係を任されていたし、花を育てるのが好きだった。だからむしろ、1人で熱中して花を育てることが出来るのが嬉しかったから、彼女らを先生に言うことはしなかった。
花たちは、新しい花壇で育てられていて、先生が買った土は水をはじいてしまう安物だったから作業は困難をきわめた。
でも、適度に肥料と水をやって毎日様子を見ながら雑草もむしってやると、だんだん育ってきてくれた。育ってきてくれたのが嬉しかったから、成長記録もまとめることにした。

どうか咲かないで。花の母になり、切って生け花にされることが悲しい

そうやって日々を過ごしていくうちに、花たちは私の子供たちみたいにみえてきた。当時の成長記録には、
「手間暇をかけて、でもかけすぎず、ゆっくり丁寧に育てれば、花はこたえてくれる。この子達は、私の子供たち。大丈夫。ママが守ってあげますからね。ママは、泥まみれになっても、防虫剤の匂いがついても、同じ部活の子から意地悪されても負けないからね」
と書いている。私は花たちの母に、なっていたのだ。
母になると、この子達が花を咲かせないでいて欲しくなった。花を咲かせてしまうと、切って生け花にされてしまう。だから、どうか咲かないで。
先生に相談しに行った時もあった。
「先生。花壇の花達は、生け花にしないでくれますか」
「どうして」
「あの子たちは、必死に咲こうとしています。それを人間のエゴで切ってしまうなんて……」
「あのねぇ。高林さん。花に愛着が湧くのはいいことよ。でもね、あなたがこれまで生けてきた花は切ってきたのに、その花だけ助けるつもり?そっちの方が、エゴじゃないの?それに、花だって生けられて長く美しくいられるのを望んでいるのかもしれない」
「……」
そうだ。正論だ。私だって、多くの花を生けてきた。もう死んだ花を、「綺麗にしたい」という思いを押し付けた。何人も殺してきた凶悪殺人犯のようなものだ。それなのに、あの子たちだけ、助けるのは違うだろう。

愛しているから、花の盛りを過ぎて枯れてしまっても一緒にいたい

ただ、最後の言葉だけでも訂正して欲しい。私は、あの子たちが花の盛りを過ぎて、枯れてしまっても一緒にいたい。あの子たちを愛しているのだ。それもまた、エゴなのかもしれないけれど。
この事態は思わぬ方向へと進んだ。花壇は、荒らされてしまったのだ。犯人は、未だ分からないけどある程度予想はつく。私が花を育てることを、嫌う人がいたから。
その時は、ただ呆然と立ちすくんでいた。ママは、守れなかった。その事実に頭が、空っぽになって宙へ浮いてしまいそうだった。覚えているのは、花の残骸を持ち帰って、家で葬式をしたこと。それだけだ。
女性は、よく花に例えられる。けれど、花には盛りがあって盛りを過ぎると枯れてしまう。
「枯れた貴方とも一緒にいたい」
そう思えるのが、愛なのだ。