女子校にいたからこそ「性別」を意識せざるを得ない状況が多かった

女子校にいたからこそ意識してしまったこと。

様々な物、例えばトイレに男性用と女性用があるように、学校にも男子校と女子校があります。学校数としては、共学が多いこのご時世に、私は中高一貫の女子校に入学した人間の一人です。

最初は、女子校に通うことに、戸惑いや不安がありました。小学校は公立で、女子よりも男子との方が気が合ったり、仲良くすることが多かったこと、女子だけという閉鎖的な空間に抵抗があったことが理由です。

女子とも仲良くはしていましたが、彼女たちに対して苦手意識、つまりは見えない壁をどこかで張っていたような気がします。
親にもその意識は、何となく気づかれていたようで、克服できる良い機会ではないかという事から、女子校を勧められたのです。
私もその意見に賛同し、学校の雰囲気も良かったことから、入学することにしました。

そんな私でしたが、女子校に6年間通い続ける事ができました。
思い返せば、良いことも嫌なことも沢山あります。いじめを受けたこともありましたが、女子校を選んだことは後悔していません。
しかし、女子校だからこそ性別を意識せざるを得ない状況が多かったように、今は感じます。

大人の発言に感じた違和感。環境、性別によって異なる視点

例えば、体育祭や文化祭といった行事で、生徒たちでテントを張る際、ある先生が「女子が自分たちでテントを張るなんてすごい。共学だったら絶対に見ない光景だよ。やっぱり、女子校の女子は強いね」と話していました。

私は、この意見の善悪について説きたいわけではなく、女子が力仕事をしていることに、物珍しさを感じてしまう世間一般の価値観や決めつけ、つまりは認識に違和感を覚えました。
また、私の学校では日本のみならず、海外でも仕事をしている様々な職業の女性を呼び、講演会を行なっていました。内容は、一般の講演会と同じ流れです。しかし、必ず最後のテーマは、働く女性の素晴らしさを説くものでした。

ある講演では、女性は男性に頼らず、自律して凛々しく生きることが重要だと締めくくっていました。まるで、男性は女性の敵だと言っているかのような強い口調に感じました。
周りの教師や生徒は、その言葉に賛同していましたが、私はどうにも納得できませんでした。世の中が、同じ人間である前に、性別にこだわりすぎているように私は感じたのです。

このように性別を意識する機会は、共学に進学していた場合、恐らく少なかったのではないかと私は思っています。自身としても、共学にいた頃よりも、女性であるという認識が強くなったように感じています。

共学出身者からみると異色の存在でも、女子校に進学して良かった

女性である、それだけで起こる理不尽があり、それに少しでも対抗出来る力をつける教育がある。女性に限った話ではなく、男性にも同じようなことが言えるかもしれません。
しかし、あまりにも社会が性別に縛られすぎているのではないかとも思えるのです。

大学は共学を選んだのですが、女子校出身だと話すと、「女子校って人間関係がドロドロしていて怖そう」と言われた事がありました。他にも「面白い子多いよね」など色々言われましたが、多くの人がなぜか女子校や男子校の出身者は、変わっているという認識があるように感じました。ある意味、共学出身者からしてみれば、異色なのかもしれません。

しかし、私はそれでも、このような考えや、視点に気づかせてくれる教育を施してくれた女子校に進学して良かったと思っています。