初潮の時の話を聞いてほしい。少しでも、同じような境遇の女の子たちが減るように。
私の町は、つい最近村から町になったような田舎だ。田舎だから、町民も少なく、老人たちがほとんどだ。だから、考え方が古臭くて、凝り固まっている。
赤飯やご馳走が並び、家族に生理がきたことを知られて恥ずかしかった
私が、初潮を迎えたのは小学校3年生のとき。学校でトイレに行った時にパンツについていたのに気づいた。
初めは、茶色っぽい血だったから、うんちを漏らしてしまったと思っていた。でも、出した感覚はないし、パンツを取り換えても出続けたから「これは、生理だ」と分かった。
私は、「女の子には生理がある」ということしか知らなくて、どうすれば良いのか分からなかった。
とりあえず家に帰ると、パンツを隠してトイレットペーパーを股に挟んでやり過ごそうとした。でも、隠していたパンツが母と祖母にバレてしまった。母と祖母は、大感激した。
「孫の顔が見える」
「曾孫の顔が見える」
と。私は、不安で喜べるような状態ではなかったのにも関わらず。めでたいことだ、めでたいことだ、とはやし立てた。
その日の夕飯は、赤飯とご馳走が並んだ。それで、家族みんなに私が生理が来たことが伝わった。恥ずかしかった。あの血が、どこから出るのかみんな知っているから。それが、私の体にも、起こっていることをみんなが知ることになってしまうから。
欲しいのは「生理おめでとう」ではなく、「大丈夫」という言葉なのに
次の日の土曜日。祖母と母が大量の赤飯を炊いていた。いつもは、私に手伝えというのにその日だけは「聖花は、生理だから休んでなさい」と言われて、何もさせなかった。
このとき、赤飯を作るのを止めさせればよかったと何度後悔したことだろう。このとき、母と祖母は赤飯を近所の人達や親戚に贈るつもりだったのだ。
日曜日。近所の人から親戚まで、大量の贈り物とある言葉が私に届けられた。その言葉とは、「生理おめでとう」という言葉だった。
贈り物もよく見ると、数の子、スルメ、柘榴、うさぎのお守りなど、子孫繁栄を願うものばかりで、中には、赤いくす玉など露骨なものもあった。
嫌だった。私が欲しかったのは、数の子でも、スルメでも、ざくろでも、うさぎのお守りでもなく、「生理おめでとう」の言葉でもなく。ただ、「大丈夫だよ」という言葉と、1人だけの時間だったのに。
みんなみんな知ってしまった。恥ずかしい。惨めだ。もう外を歩きたくない。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「辛くなったら連絡して」。生理を迎えた子に贈り物の代わりに手紙を
私の思いをよそに、祖母と母は喜んでいた。
「立派な贈り物を貰えたのに、どうしてそんなに落ち込むの」
そう口を揃えて言っていた。
この人たちには、理解して貰えない。そう分かってしまっていて、認めるのが苦しかった。
1年後。違う子が、生理を迎えた。赤飯が贈られてきて、私も何か贈り物をしろと言われた。私は、その子に向けて手紙を書いた。
「聖花です。
もし、贈り物で辛くなったら何時でも電話でも、メールでもしてきてね」
と書いた。案の定、電話がかかってきた。その子は、泣いていた。
生理を周りに伝えるのは、夜這いという風習が関係しており、
「その娘を襲っても構いません」
という合図だと一説には言われている。夜這いは、現代だと強姦扱いだから。もうその風習も必要ないだろう。
生理が来た女の子を祝いたい時は、その子の意志を尊重してあげてほしい。