もし、あの時諦めていなければ、幸せな人生を送れていたのだろうか。充実した毎日を過ごせていたのだろうか。
だけど、その「幸せな人生」「充実した毎日」とは世間一般の人々の感覚でしかない。私自身の感覚ではないのだ。

「ここでなら自分のやりたい事が活かせる」と確信

遡る事6年前。中学3年生になって受験を控えていた私は、夏休みが明けても志望校が見つからなかった。

丁度その時、3歳の時から通っていた音楽教室の先生から、地方都市にある高校を勧められた。その高校は普通科の他に芸術科があり、毎年美術大学や音楽大学への合格者を数多く送り出してきたという。
小さい頃から「なんとなく」でピアノを習っていた私はその高校の文化祭に行き、「ここでなら自分のやりたい事が活かせるかもしれない」と確信した。

その後「声が良いから」という理由で声楽専攻での受験を勧められ、毎日のようにレッスンに励んだ。次第にピアノだけではなく歌も好きになってきた。
そして高校には無事に合格し、最初の1年は目に写るもの学ぶこと全てが新鮮で、楽しかった。
だが、2年生に進級してから私は地獄を味わう事になる。

専攻と部活を両立出来ず、苦悩した結果…

1年生の時、音楽コースの生徒は何かしら音楽系の部活動に入部しなくてはならなかった。
声楽専攻の私は必然的に合唱部に入部した、というよりさせられた。女の子しかいない合唱部は女子校のようで、最初は居心地が良くて楽しかった。

しかし、合唱部は私の代を境に何かが狂ってしまった。
毎年出場している大規模な合唱コンクールで関東大会への進出が決まり、全国大会までは届かなかったものの、合唱部そのものがレベルアップしたのだ。
私が2年生になると、顧問の先生も「次こそは全国大会」と練習内容を更に厳しくした。筋トレと発声練習を行う朝練に加え、昼休みも放課後も練習に参加する事を義務付けられ、遅い時には夜中の10時まで居残り練習をさせられた。

休む時間なんて全くない。本当は自分の専攻である声楽の練習もしなくてはならないのに、全部を部活に持っていかれるようでキツかった。
練習を休む生徒がいれば会議が行われ、「どうして練習に来ないの!」と泣き出して練習の大切さや部活に対する想いを語る先輩もいた。

当時の私は何の違和感も感じなかったが、今思うとあれは先生や先輩からの洗脳に近かったのかもしれない。私も見事に洗脳されてしまったようなものだ。
気が付けばクラスメイトは次々と合唱部を辞めていった。
私は専攻も部活も上手く両立出来ず、ただ苦悩するばかり。部活を辞めたクラスメイトとも距離を置かれた。
それでも「ここで諦めたら全部が無駄になる」と自分に言い聞かせた。だけど何もかもがどうでもよくなって、「好きなものを諦めるくらいなら」と、遂に私は母の服用していた薬に手を出した。
「これで楽になれる」
遠のく意識の中でそう思いながら。

辛い経験があったからこそ、今の毎日がある

目が覚めると、私は病院のベッドの上だった。
あんなに消えたかった筈なのに、お見舞いに来た親の前で発した言葉は「生きてて良かった」。本当は生きたかったんだ、と強く思った。

退院してからうつ病と診断された私は、主治医の先生と高校の保健室の先生の勧めで自宅療養を一ヶ月程していた。
療養中に「自分が本当にやりたい事は一体何なのか」を考えた結果、苦渋の決断ではあるけれど通学の負担にならないよう、通信制の高校に転校する事にした。

転校した最初の頃は「自分はもう何も取り柄がなくなったな」と落ち込んでいたが、学業の傍ら様々な事に自分から挑戦してみた事がきっかけで、なんとか立ち直る事が出来た。
今の私が在るのは、そんな辛い経験も込みで「充実した毎日」を取り戻せたおかげかもしれない。
一度立ち止まる時間があったからこそ、今の道に繋がっているのだ。