「頑張れよ」
この言葉が私を変えるまでの話。

私が中学二年生の時、所属していた陸上部に新しい顧問の先生がやってきた。私は前の顧問の先生が大好きで、その先生のことが少し気に入らなかった。先入観、思春期、そんな感じ。

その頃、私は大会で成績が残せず、少しくさくさしていた。くさくさっていうのは、むしゃくしゃとか、一人で燻ってるってこと。けど、その先生はそんな私の態度などお構いなしに、走り出す前の私に必ずこう言った。

「頑張れよ」

その言葉が思春期の私の心のくさくさに拍車をかけた。
頑張ってるよ。ずっと頑張ってる。頑張ってるのに成績が残せないんだよ。頑張れとか、簡単に言うな。その言葉をかけてくる先生が嫌だった。

あるとき気がついた。先生はいつだって私の頑張りを認めてくれていた

でも、ある日気がついた。先生は走り終わると必ずこうも言っていた。

「頑張ったな」

ずっとその言葉をかけられていたことに初めて気づいたのは夏の暑い日の練習後。汗だくの私の背中を先生がぽんと叩いた日だった。私の頑張りを先生はずっと認めてくれていたことに初めて気がついた日だった。

私が一度も目を合わせなかった日も、私が走り終わってすぐ背中を向けた日も、私が一日無視した日も、先生はずっと声をかけ続けてくれていたのだ。私が勝手に自分は認められていないと思っていただけで、先生は私の頑張りを認めてくれていたのだ。

その日、私が膝に手をついて俯いたまま疲れたふりして泣いたのは、蝉がうるさくて先生には聞こえてなかったと思いたい。やっぱり思春期だったのだ。

私の中学最後の大会は、先生の「頑張れよ」に送り出されて、「頑張ったな」で締め括られた。私は最後までいい成績は残せなかった。

大会の後、先生は言った。
「これからも、頑張れよ」
中学の成績は散々だったが、高校でも陸上を続けたいと、大会の後先生に話した。先生は嬉しそうに笑っていた。けど、私が走る前、こっそり涙を拭いていたのを知っている。でも黙っておいてあげた。これでおあいこだ。

先生、私高校で頑張ったよ。また「頑張ったな」って言ってよ

高校の部活は充実したものになった。一年生の頃は、燻っていたけれど、二年になると努力に数字がついてくるようになった。高校の部活を引退したら、それまでの成績を持って、先生に会いに行こうと決めていた。喜んでくれるかな。「頑張ったな」って言ってくれるかな。

でも、引退より半年早く先生に会うことになった。

再会の日、先生の目の前に立ったというのに、先生はあの言葉をくれなかった。それどころか、喋らないし、目も開けない。癌だった。見つかった時にはもう手遅れだったと聞いた。
話したいことがたくさんあった。

高校では関東大会に出たんだ。
いい仲間に出会ったんだ。
中学の時、私が泣いたのに気づいてた?
中学最後の大会で先生泣いてたでしょ?
先生の「頑張れよ」が力になったよ。
私、頑張ったよ。
先生が私の頑張りを認めてくれて嬉しかった。
また「頑張ったな」って言ってよ。

そんなこと言ったって、先生は目を覚まして、起き上がって、背中をぽんと叩いて、「頑張ったな」なんて言ってはくれない。でも思春期も終わったから、私は怒ったり拗ねたりはしない。ただ、前の人のお焼香のやり方をなんとなく真似して先生に手を合わせた。

そんな私は、今年25歳になる。

先生。あれから、陸上からは離れたけれど、私は今も頑張っているよ。これから先も頑張って生きていくよ。先生の「頑張れよ」に胸を張れるように。先生に向こうで「頑張ったな」って言ってもらえるように。