私は共学によって、要らない性別を得させられた。
今年の4月、晴れて大学生になった私は華の大学生生活を満喫……というわけにもいかなかった。如何せん私は幼稚園から高校まで生粋の女子校育ち。小学校や中学に上がるときに外部から入ってきた友達は増えるものの、高校にもなれば学年の全員が知り合いのようなものだった。
だから大学進学はいきなり家から追い出されたようなもので、しかも共学という異なる環境にあって、どうしていいか分からない状態だった。幸い、一人でいることも特に苦ではないし、しばらくはこのままでいいや、なんて思っていた。
大学で話した男子に「女子校出身?」と言われたけど、何だろう?
大学に入学して数日。大講堂の隅に一人座る私に、ある男の子が話し掛けてきた。「隣座ってもいいですか」と。
その後、授業が始まるまでその人と自分たちのことについて話した。お互い同じ大学を目指していたが、落ちて第二志望のここに来た、など意外な共通点が見つかって大いに盛り上がった。
そんな中、「女子校出身?」不意にそいつがそんな質問を投げかけてきた。私が「そうそう、幼稚園から高校までずっとなの」と答えると、「なんかそんな気がした」と言って笑うそいつは、更に言葉を続けた。「女子校出身なのに男と話すの慣れてる感じがするね」。
その瞬間、身体が強張った。どういう意味だろうか。男慣れしていると言われているのだろうか。私は何か、共学の女子がし得ないような過ちをおかしてしまったのだろうか。
私は「まあ、男じゃなくて人間だと思って喋ってるからね」と言った。混乱しながらも咄嗟に放った言葉が、的確に私を表していた。逆にこいつは私のことを、女の子で自分とは違うもの、と思って話しているんだとも思った。
正直私は、男女の性差をほとんど考えたことがなかった。このとき初めて私は、共学との違いを明確に突き付けられたのだと思う。
共学の大学では、みんな私を「女の子」として見ることが窮屈だった
力仕事は男子にやらせる、運動部の男子のサポートをするのは女子の仕事、などといういわゆる「普通の感覚」をそもそも持っていなかった。女子校での私は周りよりも骨太だから重いものが持てるし、クラスの半分は理系で半分は文系だし、運動部では選手もマネージャーも同じ女性だった。女性らしい、男性らしい、という区分がほんとうにない世界だった。
その後しばらくして、そいつとは疎遠になったものの、今度は出会う女子出会う女子と会話が合わなくて苦労した。「好きな男性はどんなタイプ?」。「彼氏は自分より頭がいい人が良くない?」。「背は○○センチ以上がいいよね」。何人かにこんな質問をされたけれど、そんな会話は私には心底つまらなかった。
もっと私たちには本質的なものがあって、それを話さなければいけないのに、より深くお互いを理解しなければ友達にはなれないのに、どうして男の話ばかりするのだろうと思った。自分のできることを自分でやってきた私は、「優れた彼氏」は必要としていないし、か弱い女の子扱いにも慣れてもいなかった。なのにここでは、男子も女子も私を「女の子」として見る。
大学はなんて空気の薄い場所だろう、と思った。気を抜いたら窒息する。私らしくいられなくなる。
女子校では「女の子らしさ」ではない、「私らしさ」を作り上げてきた
次第に、女子校の女子と共学の女子とは、違う性なのではないかと考えるようになった。そうでも思わないと今までの経験との乖離で自分がちぎれそうだったから。
お互いに女性であることを意識する必要がなく、人対人の関わりが持てていたあの頃を思って、講堂で少し泣いた。今までの私は性別を持たない世界で、「女の子らしさ」ではない「私らしさ」を、幼年時代からこつこつと作り上げてきたんだ、と気づいた。
相変わらず私は一人だ。もちろんグループワークだの授業前後だの人と話す時間はあるが、「共学の女子」としてどう振る舞って良いかわからないから、ずっと人と一緒にはいられない。高校まではあんなに活き活きと過ごせていたのに、今は一人でいないと私を保てないなんて。
私は性別を得て弱くなった。