私が女子校に通い始めたのは今から6年ほど前。2016年の4月からだ。
私の家系は、女の子は曽祖母の代からずっと家の近所にある女子校へ通っていた。
だから私もそこへ通うことは、生まれた時から既に決まっていることだった。

陰湿だと思っていた女子校を初めて訪れたとき、想像との違いに驚いた

しかし私は、女子校ってなんだか陰湿でジメジメした意地の悪い女の子たちが集まって気に入らない同級生をいじめたり、怖い上級生が後輩をこき使っているイメージを持っていたため、意地でもそのレールから外れたかった。
そのために、必死で勉強をし、遠くにある共学の公立高校を受験した。

しかし、テストの結果は悲惨だった。得意だった国語も惨敗、数学なんて目も当てられない点数だった。
終わった。
私の華のJK生活は儚く散ってしまった。
そう落胆しつつも、進学をしないという訳にはいかなかったため、例の近所の女子校へ渋々進学をすることにした。

その高校では入学前にクラス決めのためのテストが実施されるということで、私は初めて学校へ足を運んだ。近所に住んでいたものの進学したくないという気持ちが強すぎるあまり、オープンスクールにもいっていなかった。

初めて入った女子校は想像していたものよりも遙かに綺麗で、まるで外国のお城のような見た目をしていた。すれ違う在校生は制服を綺麗に着こなし、さわやかな笑顔で会釈をして去っていく。まるでアニメの世界のようだった。

校長先生がいった「女性だからこそ」は、学校の思い出全てに共通する

入学してからの毎日は、それはもう楽しくて楽しくて仕方がなかった。
部活の先輩は優しく、同級生は溌剌とした良い子ばかりだった。
あっという間の三年間が過ぎて行った。

体育祭や文化祭、遠足など楽しい思い出は尽きないほど沢山できた。
その思い出全てに共通する、ある言葉がある。
それは入学式での校長先生の言葉だ。
「女性だからこそ、何事にも全力で真剣に取り組みましょう」

初めて聞いた時は、あまりピンとこない言葉だった。しかし、その言葉は女子校で生活をすればするほど輪郭を整えていった。
女子校の中には男性の先生はいるが、基本女性で成り立っている。
私たちはなんの疑問もなく、自分の意見を発言し、自分の考えを貫く。そして、それをすることが可能である環境だった。

しかし、放課後一度校外に出ると社会は翻る。
あるテレビでは男性議員の女性蔑視発言が取り上げられ、ある家庭では父親が暴力や権力を振りかざす。
女子校という小さな小さなコミュニティの中でしか、私たちは私たちらしくいられなかった。

でも実はそれは間違いだった。
私たち自身が、私たちらしくいられる場所を女子校に限ってしまっていただけだったのだ。

男女平等が謳われる環境である今こそ、自分を守る思考を培うべき

校長先生が、言った
「女性だからこそ」には、「女性だから……」という社会の根絶のための、女性の心構えが、示されていたのだろう。

女性だからこそ、言わせていただきます。
女性だからこそ、行動をさせていただきます。
女性だからこそ、何事にも全力で真剣に取り組ませていただきます。

この姿勢を強く持つことができれば、たとえ蔑視されていても、暴力や権力の元でも屈する必要はないのだと、気づくことができる。
私たちの意見は、私たちの意思は守られるべき大切な個性であると考えることができる。

スポーツや芸術、そして、世界は、社会は男女の隔たりを必要としない大きな大きな可能性のあるものだ。
私の三年間という長くて短い女子校生活はそう教えてくれた。

現在日本では共学、別学様々な学校のスタイルがある。
しかし、世界中で男女平等が謳われている環境である現在こそ、別学の学舎で自身の身を守ることのできる思考を培う必要があるのではないだろうか。
私はそう考える。