私は高校と短期大学を女子校で過ごした。理由は、小・中学校で男子からいじめを受けたからだ。特に中学校時代は警察沙汰になり、ひどい心的外傷を受けた。

男子と共に過ごしたくない私は女子高に通おうと進学先を探したが、一番近いところは偏差値がかなり高い公立校だった。仕方なく2番目に近いが、片道2時間もかかる私立の女子高を選んだ。

女子高は自分の意見を忖度なく発言できて、飾らない自分でいられた

そこはミッションスクールで、中高一貫校。県庁所在地の郊外の静かな場所にあり、受験に来校した時、あまりの厳かさに場違いではないかと緊張をしたが、なんとか合格できた。

入学式の会場となる体育館を見渡せば、全てが女子生徒。中学校の時の下品な喧しさが一切ない。中等部から内部進学した同級生は、誰もが清らかな雰囲気を醸し出していた。校舎も学習机も傷や汚れがほとんどなく、綺麗に扱われている。再び、場違いではないかと緊張が走った。

しかし、そんな心配は杞憂に終わった。思いの外理想とは全く違って、お上品さや高潔さを過度に求められたりはしなかった。挨拶は「ごきげんよう」ではなく「おはよう」「バイバイ」が通常。私も含めオタクも結構いるし、本物のお嬢様やクリスチャンはほんの数人しかいない。

でも、友達になってみると分かる。本物のお嬢様やクリスチャンも、言ってしまえば「普通」の女の子だった。普通の女の子が多かったおかげで、場違いだと思うことはなくなり、ストレスの少ない学校生活を送ることができた。

私から見た校風を挙げるとすれば、皆生き生きとしていたように思える。メイクやバイトなどが禁止の厳しい校則の中でも、自由を謳歌していた。私もその一人だった。

自分の意見を忖度なく発言できる。飾らない自分でいられる。力仕事も自分たちの仕事なので、自立心が養われる。そのおかげで自己肯定感が上がる。

男子は女子の「容姿」をネタにしてからかう。私もその被害者だった

中学校の時では感じられなかった、心の軽さ。その理由は、あの下品な喧騒やからかいだけでない、「女」を品定めする目線もないからだ。

男子は自分の容姿を棚に上げて、女子の容姿をネタにしてからかう。私もその被害者だった。そして、どの女子となら付き合えるかという品定めも、男子の間では流行りだった。思春期の男子にとって、女子は自分の欲を満たすための「物」でしかない。そんな視線を不愉快に感じる女性は、どの年代においてもほとんどだろう。

何より、中高生の男女間における恋愛は理性的とは言えない。そうなるとトラブルはつきものだ。恋愛におけるトラブルの被害者のほとんどは女子だが、誰かに話して解決できた例は少ない。何故か原因であるはずの男子が優位に立ち、女子は泣き寝入りするか理不尽に怒られるかの二択になる。

そんな鬱陶しく傲慢な男子という存在は、女子校には存在しない。男女間の恋愛のトラブルもほとんど起きない。盛ったサルのような同年代の男子よりも、華々しく活躍する芸能人やゲームや漫画のキャラの方がよっぽどときめく根拠に正当性がある。理想の男性像にそのような人々を挙げる女子校の女子の方が正気を保っているのだ。

私にとっての女子高での3年間は、「笑顔」に満ちたものだった

共学に思うこと。共学校に通う女子は、男子に対して、本音と建前を使い分けているのではないだろうか。男女間の恋愛において、間違いを犯してしまっているのではないだろうか。男子を恐れて、自分らしく生きることができないのではないだろうか。

特に高校生は子どもと大人の狭間に揺れる時期だ。そんな時期に男子によって不幸な思いをさせられ、心的外傷を負っている女子の居場所として、女子校を勧めたい。

男子がいないからこそ萎縮する必要もないし、恋愛特有の間違いを犯すこともない。自分の意見を忖度なく発言でき、飾らない自分でいられる。私にとっての女子高での3年間は、笑顔に満ちたものだった。

共学と、別学。もう一度選べるとしても、私は何度でも必ず別学を選ぶ。