私は幼い頃から絵を描くことと、物語を考えることが好きだった。空想の世界にいれば嫌なことを忘れられた。時間さえあればノートにイラストや漫画を描き、将来は必ず漫画家になれるのだと信じてやまなかった。

そして、本格的に漫画制作を開始した。作品を投稿し、担当編集が付き、惜しいところまで行くが、あと一歩のところでデビューできず。それでもなんとか踏ん張るつもりでいたが、私より10歳も年下の女の子がデビューしたのを見て、突然ぽっきりと心が折れてしまった。

私の心が折れていた時、祖父が言ってくれた言葉に涙が溢れた

折れた心を取り戻そうにも、もうやる気もなく、絵を描く気にすらなれず、私がやってきたことは一体何だったのだろうと、何をしても無駄なのだと、私は机に向かわなくなった。

心が折れて1ヶ月ほど経った頃、久しぶりに祖父に会った。祖父は昔から私の夢を応援してくれていた。

「まだ漫画は続けているのか?」と、祖父は窓の外を見ながら話しかけてきた。私は「続けてるよ」と思わず嘘をつく。諦めてしまったことを伝えるのが嫌だったし、何より諦めた自分をまだ受け入れられていなかった。

祖父は「そうか」と呟くと、私に向き直りこう言った。「お前が漫画家になれるかなれないかなんてことはどうでもいいんだ。俺は面白いやつが好きなんだよ。親族に絵を描くような面白いやつはお前しかいないからな、これからも楽しく続けてくれればそれでいいんだ」。

鼻の奥がツンと痛くなり、いろんな感情が心に渦を巻いた。勝手に溢れそうになる涙をマスクを上げる仕草で必死に誤魔化した。「……ありがとう」。それが、祖父との最後の会話になった。

1ヶ月後に祖父は亡くなり、私は「祖父の死」を受け入れられなかった

祖父はその1ヶ月後、突然の心不全で帰らぬ人となったのだ。それからしばらくは、猛スピードで走る救急車を街中で見かけるだけで「どうか助かって欲しい」と願い、泣き出してしまうこともあった。祖父が亡くなったことを受け入れられず、ずっと漫画家という夢を応援してくれた祖父に何の報告もできないままだったことが悔しくて仕方なかった。

そして、思うことは一つだった。私は、ここで諦めたくない。

漫画を描くことを楽しいと思えていた幼い頃には、もう戻れないかもしれない。結果ばかり気にして、楽しいかどうかなど二の次で作品を描いていたほんの数ヶ月前の自分が輝いて見えるほど、創作をしていない自分を認められなかった。

ならば、私にとっての救いは描くことなのだ。皮肉なもので、描いている時の救いは描かないことで、描いていない時の救いは描くことなのだ。

楽しいことばかりじゃないけれど、祖父の言葉を胸にまた机に向かう

私は祖父の「楽しく続けてくれればそれでいい」という言葉を胸に、また机に向かい始めた。もちろん楽しいことばかりではなく、周りと比べて落ち込むこともあれば、やはり向いていないのではないかと思うこともたくさんある。これからもきっとずっとそうなのだろう。

でも、私はその度に祖父の言葉を思い出す。楽しいという気持ちを忘れないように。

祖父にいつか報告できる日まで、思い出すたびに強くなれる祖父から貰った魔法の言葉を思い出し、私はこれからも元気を出して生きて行くのだ。