「面倒くさいって思われることが面倒なの」
手狭なレストランの隅っこでわたしが発した言葉だ。
目の前にいる友人は生暖かい視線を送ってきた、ポルチーニ茸のオムレツを味わいながら。面倒くささを煮詰めて焦がしてしまったような言葉は、しばらく空中を漂っていた。

マッチングアプリで出会った彼は、フランスについて教えてくれた

去年の秋にマッチングアプリで出会い、LINEのやり取りを続けている男性との話を書いていきたい。
彼は県外に住んでいて、10歳くらい年上だ。まず海外旅行好きという共通点があることが嬉しかった。彼はフランスが好きで何度も訪れているそうだ。フランス語が得意で、時には翻訳業もしているらしい。

そして、コロナにも仕事にも閉塞感を感じていたわたしには、自分とは違う環境で暮らしている人が新鮮に見えた。

桜が散り終えた頃にはカヌレの写真を送ってくれた。カヌレが放つバニラの香りは思い出を呼び覚ましたらしく、リヨンで過ごした日々について語ってくれた。
雨が降りしきる季節になると、ストラスブールにあるマドレーヌ専門店をすすめてくれた。わたしがフランスを訪れたのは21歳の時で、パリを中心に観光した。

フランス語は全然しゃべれないし、フランスに詳しいわけでもない。リヨンはなんとなく耳にしたことがあるだけの地名だったし、ストラスブールに至っては知らなかった。

返信が億劫でLINEを既読スルー。コロナ禍は価値観を浮き彫りに

なんともお腹の空きそうなLINEのやり取りはゆるやかに続いていた。特に嫌な出来事があったわけでもないのに、急にわたしの中で何かが閉じる音がした。
平たく言うと、LINEの返信が億劫で、絶賛既読スルー中だ。行き止まりの中で知らない世界を見せてくれたことへの感謝はあるけど、以下省略って気持ちなのだ。

面と向かって会ってみれば、心を開けるのかもしれない。でも、そんな気分にはならない。彼との会話を通して、もう一度フランスを訪れたいと思ったことが一番の収穫だ。今度はパリ以外も見てみたい。

コロナ禍はそれぞれの価値観を浮き彫りにした。この未曾有の危機が別れるきっかけになった人がいる。逆に付き合ったり、結婚したりするきっかけになった人もいる。
身近な例だと、冒頭で一緒に食事した友人は、職場の同僚とコロナ禍の最中に付き合い始め、1年足らずで結婚を決めた。

恋愛においてコロナを味方につける人だっているのに、なんてうらやましく思うけれど、こればっかりは人と比べても仕方ない。

きっと全人類にとって、誰かと向き合うことは面倒くさいことだ

わたしにとって、誰かと向き合うことは面倒くさいことだ。わたしだけがヘビーな悩みを抱えているような口ぶりだけど、きっと全人類にとって、自分じゃない誰かと向き合うことは面倒くさいことだ。

海外旅行の準備だって面倒くさい。でも、綺麗な景色や美味しいご飯に出会えるから、頑張れる。誰かと向き合うことも同じだと頭では分かっているけど、面倒くさい。

マッチングアプリそのものはここ半年くらい休止モードに設定している。ついこの前、心理テストを受けるためだけに休止モードを解除した。わたしは心理テストが大好きなのだ。うっかり休止モードを解除したままにしていた。ふと見ると、どこかの誰かがいいねボタンを押していた。急いで休止モードに戻した。ああ、面倒くさい。

わたしの面倒くさい病がいつ治るのかは分からない。確実なのは数年後にストラスブールでマドレーヌに出会うってことだけだ。
とにかく何も気にせずにフランスに行ける日を待っている。