私は中高一貫の女子校に通っていた。それは、思春期の6年間、ほぼ男性の存在がない集団で暮らしていたということを意味する。

女子だけの社会。それはいったいどんな場所なのか、そしてどんな影響を与えたのか考えていきたいと思う。

サークルに入って、女子の価値はかわいさで決まることに衝撃を受けた

まず言えるのは、女子校時代はすべての基準が女性にあったということだ。例えばクラスの人気者。これは、単純に「女性に好かれる女性」が一番人気である。明るくて面白いことや、リーダーシップがあることといった内面が最も重視される。

また、当たり前だが、クラスや部活などのメンバーもリーダーもすべて女子である。体育祭や文化祭のイベントもすべて女子だけで行う。女子のリーダーが女子を束ね、女子たちが動く。必然的に女子たちは自主性に富み、タフな存在になっていく。私はこの集団の規律をごく自然に「当たり前」のものだと考えていた。

高校を卒業した私の進学先は、またもや女子大だった。しかし、中高と違ったのは、共学から入学してきた女の子も多かったこと。私は男女混合のインカレサークルに入ったが、そこで男性がいる社会をはじめて経験することになる。

サークルに入ってすぐに衝撃を受けたのは、男子の中で女子の価値はかわいさで決まるといことだ。同じサークルには、女子校の中では人気が出るような「明るくて面白いタイプ」のひょうきんな女の子がいた。

もちろん、その子は女子にはすごく好かれていた。しかし、率直にいって男子からほとんどモテていなかった。男子が好きなのは、単純に見た目がかわいい子だった。

女子校で育ったことで、私に変な「フェミニズム」が湧いた

かわいい子の中でも、ぶりっ子気味な女の子はさらに人気が出る。自分ができることも「できない」と男子に甘えたり、「○○くん、すごい!さすが!」と持ち上げたり、ボディタッチをしたり。

男子にとっては内面より容姿が重要だという事実に気づかされ、私は正直ショックだった。しかも、男性とは内面をあまり知らなくても、うわべのぶりっ子を見てすぐ好きになってしまうような人も多いということがわかった。

また、ぶりっ子気味の彼女たちを見て、素直にすごいと思うと同時に、複雑な気持ちになった。ぶりっ子というのは、率直に言ってしまえば、全力で男子受けするように媚びるということだろう。

もちろん、戦略としては正しいし、男子はたいてい喜ぶ。でも、女子校で育ったことで変なフェミニズムが湧いた私は、男子に媚びるということが、一種女性の価値を下げているようにも思えた。なぜなら、媚びるというのは立場が下の者が上のものにやることだからである。

女子校育ちだが、「社会に慣れるため」に共学の方がよかったのでは?

大学を卒業し、もういい大人の私であるが、まだ私は女子校をこじらせ続けていると感じる。いまだにぶりっ子を見ると複雑な気持ちになるし、男性のことをどこか「女性の若さや容姿だけしか見ていない人々」と思っている。

女子校という女社会で生きてきたが、結局出口となる社会の半分は男性が占めている。それなら、最初から共学で男女共同社会に慣れた方がよかったのではないかと、個人的に思う。

もし私に娘ができたとして、その子が私と同じように「中学から女子校に通いたい!」と言ったら、おそらく勧めないと思う。私は後悔しているから、「せめて中学は共学に行って男女社会の雰囲気を学びなさい」と言うだろう。

女子校は楽しいこともあったし、いいところもたくさんある。でも、いざ男女社会に出ると大変だから、やめておいた方がいい。それが私の結論である。