私は高校から女子校に入った。
結論から言おう、今の私は母校に入ったからこそ存在していると言っても過言ではない。
入ったことに後悔はしていない。だがしかし、今だに思うことはある。
あの時共学に入っていれば……。
「〇〇に入ったらモテるよ」。その言葉に騙されて、私は女子校に入学した
29歳独身処女。私は世間に言わせれば拗らせ女なのであろう。
そんなに不細工でもない。口説かれないわけでもない。じゃあなぜか。
中学生の頃。私はどちらかというと可愛らしいジャンルにいた。一人称を下の名前で呼び、男の子は大好きだったし、彼氏がいたこともあった。
将来の夢はアナウンサーというれっきとした量産型の女の子であった。高校生になったら少女漫画みたいな生活をしたい。恋空全盛期のこの時代、「高校生=恋愛」の方程式は私の脳内でばっちり準備されていた。
「偏差値が高い共学3校には届かないけど、真ん中よりちょっと上のちょうどいい私立に行こう」そう思っていた。
そんな時、出席番号が一個前のクラスで1番可愛い女の子が私にこう言ったのである。
「一緒に〇〇行こうよ!」
その高校は県内で1番頭のいい女子校であった。制服が可愛くて、街のど真ん中にある。偏差値も、ここなら頑張れば届く。でも、男の子が学校にいない……。彼女はそれを心配する私に決め手の言葉を言い放った。
「〇〇に入ったらブランドでモテるよ」と。
彼女曰く、県内屈指の進学校の男子達がより隣に置きたいのはそこの女子だと言うのだ。
私は彼女の言葉にまんまと騙されて、おめでたく入学したというわけである(彼女は直前に偏差値が足りないと言って共学に行き、そこで付き合った彼氏が今の旦那さんとなった)。
女子校ライフはアイデンティティを確立させるために絶好の環境だった
案の定、入った花園はそんなとこではない。
体育祭は他の学校とわざと同じ日に合わせられるし、文化祭は男子禁制。ハイスペックなイケメン男はちゃんと学校内で彼女を作るのか、クラス40人中彼氏がいるのは3人だけであった(笑)。
とはいえ、女子校ライフは非常に楽しいモノであった。
まず、ヒエラルキーがあまりハッキリしていない。共学だと上層部であろう女の子が最下層であろうザ・オタクの女の子と漫画の貸し借りをしているし、ジャニーズのオタクもいれば、アニオタもスポーツ選手のオタクもいて、勝手に妄想を膨らましては楽しくお話をする毎日であった。
ちなみに私は修学旅行で行った宝塚歌劇団にハマり、3年間は宝塚受験一色の恋とはより無縁な生活をしていたが、みんなも大いに応援してくれた。好きなことを隠さなくていいどころか、恋愛抜きで自分が何をしたいのかをとことん突き詰めることができるというのは、思春期にアイデンティティを確立させるためには絶好の環境だったと思う。
私が女子校で失ったモノは頼る力や立てる力なのかもしれない
そして、何よりもそこでは可愛いが正義ではない。面白さこそが正義である。
いかに身体を張って変な踊りができるか。ユーモアのあるディスカッションができるか。その個性こそが、認められるために1番必要なことであったのだ。
これにより、社会に出てからどの同僚よりもお局さん含めた女性に好かれる能力は身についた。感謝している。
じゃあなぜ男性ではダメなのか。
それは張り合うからだ。面白いと手を叩いて笑っとけばいい場面で、全然面白くないと言って張り合ってしまう。
そう、私たちは男性の立て方を知らないまま大学生になった。
そこで矯正された人もいるが、私はされず、そのまま今に至ってしまったのである。
頑丈なアイデンティティの確立と引き換えに失ったモノ。
それは頼る力や立てる力なのかもしれないと思う今日この頃であった。