私の髪は、茶髪のくせ毛。太陽に、当てれば黄金に輝き。月に当てれば、茶色く光る。
くるくるなのは、私の夢が伝わっているから。誰のためでもない。私だけの髪の毛。大好きな髪の毛。
なのに、私の髪は世間の人に受け入れられない。それはまるで、私自身が受け入れられないように。

地毛証明書を書きながら怒る母。子どもながらに声を殺しながら泣いた

一番初めにこの髪が拒絶されたのは、幼稚園に入園するときの説明会だった。初めて大勢の人の前にでた私に注目したのは、その髪の色だった。説明会のあと、先生に引き止められて髪の毛の話をした。

「お宅のお子さん、髪を染めていらっしゃるんですか」
「いいえ、自然にこの色です」
「じゃあ、地毛証明書を提出してください。それか、髪を染めてストレートパーマも当ててください」
「……はい」
帰ってきたとき、母は怒った。
「あんたのせいで、悪目立ちしたじゃない」
そう言いながら、地毛証明書をガリガリ音をたてながら書いた。私のせいで、怒られてしまった。泣けば、「泣くな」と怒られたので、子供ながらに、声を殺しながら泣いたのを覚えている。

母と買い物にいく時も、私の髪は世間から受け入れられなかった。
「なにあれ、染めてるの」
「パーマもかけているみたいだし」
「虐待じゃない」
「あのお母さん。何してるんだか」
そんな、大人たちの声が聞こえた。母は、真っ赤な顔をして悔しそうだった。母は、その日から私を連れて出歩くのを止めた。

拒絶される髪の毛。はさみで切った髪に気付いてくれたのは姉だった

大人たちがそんなことを言っていたから、子供たちもマネをするようになった。
「お前、髪を染めてるんだろ」
「いけないんだーいけないんだー」
「変な髪。お化けみたい」

髪を引っ張ったり、踏んでくるようにしていじめるようになった。周りが、拒絶する度に、私は、私の髪が嫌いになっていった。

ある時私は、この髪のせいで私は、苦しまなければならないのかと思い。髪をはさみで切った。丸坊主になるぐらい短く切った。5歳の日のことだった。
それに、気づいてくれたのは、姉だった。姉は、そこまで悩んでいたのかと泣いてくれた。
私もようやく泣くことが出来た。その後、バラバラに切られた髪を整えてくれながら、姉はこういった。

「お姉ちゃんはね。聖ちゃんの髪、大好きだよ。夏の向日葵みたいに明るい色をして、ふわふわとした髪は雲みたいで大好きだよ」
それでも、好きにはなれなくて。小学校に上がったときは、なかなか地毛だと認めてくれなくて、黒染めしてストレートパーマも当てることになった。
これで、いじめられることはなくなったし、母と買い物にも行けるようになったが、私にはわだかまりが残った。

枕草子に書かれていた言葉。1000年前にも同じ悩みを持つ人がいた

どうして茶色の地毛はダメで、黒染めの髪はいいのか。
どうしてくせ毛の地毛はダメで、パートをかけた髪はいいのか。
もやもやは、年々大きくなっていったが、自分の髪を好きになれなかったから、あまり考えたくはなかった。

そんな、ある日のこと。枕草子を読んでいるとこんなことが書かれていた。
「いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髪なども わがにはあらねばにや、所々わななき散りぼひて」

ここの「わがにはあらねばにや、所々わななき散りぼひて」は、清少納言がくせ毛であったことを示している。約1000年前にも同じような悩みを持つ人がいると親近感が湧いた。そして、姉の言葉も思い出した。

そう思えば、少しずつ少しずつ自分の髪が好きになった。
今では、黒染めもパーマもあてていない。私は、この髪を愛している。