最近私は人生で一番の大きな買い物をした。
夏のボーナスが出たのをいいことに、ハイブランドのバッグを購入した。

可愛くて抱きしめたブランドバッグ。思い出すのは高校時代の財布

帰ってきてすぐさま、丁寧にまとう巾着からバッグを取り出した。
あのきらびやかな空間から出してもらったバッグが自分の部屋にやってきて、小さいながら立派に佇んでいる。感無量。可愛さのあまり抱きしめてフリーズ。質のいい皮の香りに思わず顔をうずめる。

丸いフォルムがやっぱり可愛い。
綺麗に施される縫い目、見えない所にまで刻印された小さなロゴ。重厚感がありしっかり音が鳴るファスナー。

バッグを床に置くときの、「ことん」という音さえ可愛いから驚いた。
これでお酒が呑めるな、と全くお酒が呑めない私は思う。
こんなにも愛着があるバッグは初めてだ。

実は同じブランドの財布を高校の入学祝いで買ってもらい、使っていたことがある。
中学生の頃は、大人が持っているそのブランドの財布が欲しくて、むしろそのブランドしかよく知らなくて、なんとなくの憧れで買ってもらった。

もちろん気に入っていたし、それなりに大切に使った。だけど高校の途中くらいで使わなくなった。当時そのブランドの財布を持っているのは少しやんちゃな男の子だったり、ギャルっぽい女の子だったりして、私が持つものではないんじゃないかと気後れした記憶がある。

後は単純に、ザ・ブランドの物を持つのが恥ずかしくなったりだとか、理由はおそらくこんなところで、結局は周りの人からどう見られるかを気にしたんだと思う。
そのあと2、3年ごとに財布を買えてきたけれど、一度もあの財布は使っていないし同じブランドのものを買うこともなかった。もちろんバッグにしても。

急に使い出した財布も、バッグにも何か理由があるのかもしれない…

あれから13年経って、私はなぜか当時のお財布のことを思い出して、また使うようになった。特に理由はないけれど。

今回バッグを買ったのも、何かの記念で買ったわけではない。ボーナスが出たからとはいうものの、小心者の私はこれまでのボーナスで高額の物を買ったことはほとんどなく、結局は貯金に回すことが多かった。
何かを成し遂げたわけでもないし、誕生日のお祝いでもない。むしろここ最近は落ち込む事の方が多かった。

終息しないウイルスへの不安や自分の今後の人生についての不安、日常の中でついてないなぁと思う小さな嫌なことも続いて、少しやさぐれていた。
そんな調子で全くお祝いモードではなかった。

急に思い出して使うようになった財布も、今回買ったバッグも、自分に自信が欲しかっただけなのかもしれないし、ぱっとしない自分を奮起させるためなのかもしれない。
それもきっと少しはあるんだと思う。

社会人になって気付いた気持ち。大切に作られたものを長く愛していく

だけど昔よりは分かってきたことがある。
社会人になって数年働いてきた私は、一つ物を作ることの難しさやそれにかかる労力も十分に理解できるようになった。職人さんや、物づくりに関わる人、大切に作られた物を永く愛している人達の気持ちに思いを馳せることもできる。

また、自分にとって大切なものを選び、丁寧に愛していくこと、誰にどう見られるかを気にするのではなく、自分がどう思うか感じるかを重要視するようにもなった。
そんな変化が大きいのかな、と思う。
自分の部屋にやってきた愛おしすぎるバッグを見て、そんなことを考えた。

身の丈に合うのか、人からどう見られるかは分からないけれど、遠ざけていたり、どこか馬鹿にしたりもしたそのブランドバッグは、今私の目の前でこんなにもキラキラ輝いて、とにかく愛おしい。そう感じられるようになったこのタイミングで、自分で手に入れることができて、本当によかった。

出会うべき時にまた出会えたことがとても嬉しい。

まだまだ気軽にお出かけができない世の中だけど、このバッグを持って好きな服を着て
好きな場所へ行く。ささやかな夢を見て、またこつこつと日常を過ごしていこう。