恋の始まりをスイッチに例えるなら、「自分で押すタイプ」と「押されるタイプ」に分かれる。
いつの間にか好きになっていた人も、もしかしたら相手に押されたのかもしれないし、無意識に自分で押したのかもしれない。形の大小や押し易さに差はあれど、誰しもそのスイッチを持っているのだと思う。

ただし故障は付き物。私のスイッチは1年前から故障中のまま………。
つい最近までそう思っていた。でも違うかもしれない、そもそもの前の恋が終わっているという前提をぐらつかせる出来事があった。

恋愛で生かせるヒントをもらったものの、なぜか心が躍らなかった

最後の別れから故障に気付いたのは半年ほど経った頃。いくらスイッチを押されるタイプの受け身型な私でさえ、こんなに長らく恋愛のゾーン外だったことはない。
外出自粛中だとしても、周りのシングルの友だちは新しい出会いに積極的に活動している。ただでさえ恋が始まりにくい人間なのに、最後の恋愛が拍車をかけた。

彼との関係は数学の難問に似ていて、今までの知識を総動員しても解けない出来事がなんと多かったことか。根っからの文系な私は、6年間という長過ぎる時間だけかけて、最後まで問題を解けずに別れた。

その6年の間に周りは結婚・出産を経験し、気軽に連絡の取れる友だちは減っていった。なのでこの恋愛オフモードの疑問は一人で向き合わなければならないと肩を落としていた。
そんな中、数少ない恋愛現役の友人が口にした言葉が頭に引っかかった。
「愛嬌のある人がモテるんだよ」

それは合コンを始めとする対面式の場合であっても非対面式のアプリであっても同じことだと。そんなこと、綺麗な顔立ちをしたモテモテな彼女に言われたら、深く考えずとも勝手に頭が上下に動く。

よし、また恋愛最前線に立つために研究しよう!と奮い立ったものの……なかなか心が躍らない。なんで?せっかく恋愛で生かせるヒントをもらったのに……。
奮い立った惰性で自分磨きの鉄板のバスグッズブランドに入店………そして手ぶらで退店………。最悪なことに、恋愛を楽しんでいる自分のイメージが湧かない。

これはボディクリームやトリートメントで外側をメンテナンスするのではなく、内側を見つめ直さないといけないと実感。久しぶりに、別れた彼との思い出を振り返ることに。

振り返って気づいた。あの恋は終わってない。答えは簡単だった

よく晴れた休日。東京、青山にあるホットケーキの美味しいカフェで1人振り返ってみた。やはり時間が経った今でも彼の訴えは分からないまま。相変わらずの難問だが、今までは浮かばなかった様々な選択肢が浮かんでくる。そしてその選択肢を選んだ末に発展するであろう仮説を延々と妄想………2時間経過。

何やってんだ私は……、でもここで気づいてしまった。私の脳みそは彼について悩むことを苦しみと思っていないということ。もはや過去とすら認識していないではないか。
あ、ちょっと待って。もう一度私の壊れていたはずの恋愛スイッチを見てみると、何だか横にロックボタンが付いている。

そうだった。もう恋に傷付かないように、1年前にロック機能を追加したんだった。
でも、しっかりオフに出来ていないのに無理矢理ロックをかけたものだから、今にも消えそうで消えない火が、頼りなさげに火を灯し続けている。つまりは、あの恋愛はまだ終わっていないんだ。

なんで終わらないのか。その答えはとても簡単。彼を思い出にしたくないと心が訴えているから。

モテる要素は愛嬌より愛情表現の巧さなのかもしれないと思った日

関係の終わりと恋の終わりが同時だとは限らない。否、同時のことの方が少ない。
同時であればどんなに物事はスムーズにいくだろう。そして同時でないから、今日の今この瞬間にもラブソング、恋愛小説が生まれ続けているのかもしれない。

まだ終わっていないのか、それに気づいたらなんだかとても気が楽になった。スッキリした気分でこのままカフェを出ようと、お会計のためにウエイターを探してキョロキョロ。するとテラス席の男女一組に目が留まった。

何も言わずに彼のコーヒーに角砂糖1つと、ミルクを少し入れる彼女。そしてそれを真顔で「どーぞ」と手渡す。愛嬌もへったくれもない。でも彼は満面の笑み。「俺のこと分かってるな」と言わんばかりの表情だ。

なるほど。もしかしたらモテる要素は愛嬌よりも愛情表現の巧さなのかもなあ、なんて思いながらレジに向かった。