出会いは、私が小学生の頃。彼は、2つ年上のアイドル。
出会ったと言っても、直接対面したわけではなく、画面越しにその歌と踊りを目にしただけなのだが。その頃、彼は大任に就いており、ほぼ毎日のように生放送に出て、歌って踊っていた。

辛い表情の後見せた、彼の晴れやかで眩しい笑顔がきっかけで決め手

ある日の生放送で、彼はどこか辛そうな表情を浮かべたまま、仕事をしていた。私はその日、何よりも彼のその表情が胸に刺さり、気になって仕方なく、どうか、どうか笑ってほしいと、笑顔を見せてほしいと、祈る気持ちで過ごした。思いや念が、きっと届くと信じて疑わない性格と年頃だった。
そして数日後の生放送、彼は見せてくれた。たったひとつのソロパート、しっかりとカメラに抜かれるその場面で、晴れやかで眩しい笑顔を。

それを見た時の喜びが、ときめきが、きっかけで決め手だった。

その場で家の隣の書店に向かい、初めてDVDのついた初回盤のCDを買った。初めて見るミュージックビデオ、そして長時間のメイキング映像。彼のいろんな表情が見られることが嬉しくて、何度も何度も繰り返し見た。
たった2曲が収録されたCDを何周も何周も、それはもう「擦り切れるくらい」という表現以外ができない程、飽きることなく聴き続けた。それが、彼の所属するグループのデビューシングルだった。

嬉しさと「好き」が溢れた私は、彼にファンレターを送った。図々しくも、「返事が欲しい」と書いて。すると後日、一通のハガキが届いた。
メッセージは私個人に宛てたものではなく、ライブの案内と併せて印刷されたものだったけれど、宛名だけは直筆だった。
誰の肉筆なのかは分からない。それでもハガキが届いた事実は、当時、家庭環境の変化で憔悴しきっていた私の大きな支えになった。

「私」に気づいてもらえないことが怖くてライブに行く勇気がなかった

それからはずっと彼を追いかけた。CDは必ずDVD付の初回盤を買い、ライブもドラマもDVDを買い揃えた。ファンクラブが設立された時も、すぐに入会した。
けれど、私はファンクラブの一番の特典とも言える、ライブチケットの申し込みを一切しなかった。
会場がかなり離れた場所で行くのを諦めていたとか、そもそも学生だった自分に親からの許可が出なかったとか、そういう理由ではない。
彼に会いに行く勇気がなかった。会いに行って、「私」に気づいてもらえないことが怖かったのだ。

広い会場の中、一方的に文字で語りかけていただけの「私」を見て、それが「私」だと気づいて欲しい。そんな気持ちがずっとあった。
実際に行けば、目が合ったりファンサをもらったりできたかもしれない。けれど、それは「私」と気づいてもらうこととは違う。限りなく難しいその願いが、叶わない事実を突きつけられることが怖かった。
私はきっと「純粋なファン」ではない。それを受け止められたのは、出会ってから10年経った頃だった。それからはCDを買うのも止め、ファンクラブも退会し、出演番組を追うこともしなくなった。

彼の歌に、広告越しの笑顔にやはり私は彼が「好き」なのだと実感

けれど、彼の活躍は追わずとも私の目にいくつも入ってきた。
ある日、私は動画サイトにアップロードされた公式動画を見つけた。懐かしさから再生してみると、彼の歌は、笑顔は、ずっと変わらず、けれど確実に魅力を増していて。それを見た私のときめきも、きっかけになったあの日と変わらなかった。
またある日には、電車の中吊り広告越しに、彼と目が合った。そのときめきは絶大で、広告のカレンダーも、まだ聞いていなかったアルバムも、気づけは手に取っていた。
やはり私は彼が「好き」なのだと、しみじみと実感した。

それから私は、久しぶりのファンレターを彼に出した。かつての自分のわがままを詫びて、だけど今でも貴方の歌と笑顔がとても好きだと、だから少しでも幸せであるようにと綴って。それが彼の元に届いたかは分からない。けれど、それを彼に伝えられるくらいには、私は私の「好き」を受け止められるようになった。
私はこれからも彼の笑顔を見る度に、歌声を聴くたびに、何度もときめいては「好き」だと実感するのだろう。人生の半分以上、その気持ちを持って生きてきたのだから。
それはきっとこれから先も変わらない。