「私のふるさと」が今回のテーマということで、最初は書きたいことが思い浮かばないから、投稿しないつもりだった。
「ふるさと」というと、テレビで見るような地方ののどかな田園風景が思い浮かんだからだ。しかし、そのような場所での思い出は、私にはない。
私は生まれてからずっと、都心からほど近い場所にある実家で暮らしている。親の転勤で、幼少期には地方都市で暮らしたこともあったが、まだ幼かったこともあり、エッセイにするほどの思い出が思い浮かばない。祖父母の家も、それほど遠くはなく、日帰りで十分行ける場所にある。

ならば学生時代に過ごした場所について書こうかと思ったが、ありきたりな文章しか書けない気がした。だから、このテーマでエッセイを書かないつもりでいた。
しかし、あるツイートを見て、私にも「ふるさと」と言える場所があることに気づいた。「そうだ、私のふるさとはここだ。書くなら今しかない」と思った。

Twitterで見かけた風景は「思い出したくない記憶が詰まった場所」

ある朝の5:30、早く目が覚めてしまった私は、寝っ転がったまま枕元に置いてあるスマホに手を伸ばした。そして、Twitterを開いた。
前日の就寝前にもTwitterをチェックしていたので、それほどタイムラインに動きはないと思い、眠気を感じながらもTwitterのタイムラインをぼんやり眺めていた。
すると、あるツイートに目が留まった。会ったことも話したこともないけれど、たまたまフォローしていたアカウントだった。

多分、自分と趣味が同じだったという理由で、なんとなくフォローしたアカウントだと思う。そのアカウントの人が、他のアカウントにいいねをしているツイートだった。それが私のタイムラインに流れていたのだ。
「ホテルで朝食。優雅で美味しかった!」という写真付きのツイート。私は「ホテルでの朝食、いいなあ。あれ、この景色、どこかで見たことがある……」と思った。
写真に映っていたのは、見覚えのある景色だった。すぐにGoogle マップを開いて、写真に映るビルの高さや色と照らし合わせた。間違いないと思った。
私が以前正社員として働いていた、ホテルのレストランから見える景色だった。

朝食を食べることができる、高層階のホテルにあるレストラン。写真に映るビルを見下ろせるホテルは、近くにないはずだからだ。
職場の人間関係と長時間労働が原因で適応障害を発症し、休職をして、そのまま退職したホテル。どちらかと言えば「思い出したくない記憶が詰まった場所」だ。

嫌な場所だったのに緊急事態宣言のたびにホテルのことを考えてしまう

でも、今回のテーマである「私のふるさと」というワードと重なった。そして、エッセイを書こうと思った。神様が「ふるさとについてエッセイを書きなさい」と言っているような気がした。
ホテルを退職してからしばらくの間、職場での嫌な思い出ばかりが脳内でフラッシュバックされていた。「あんなホテル潰れてしまえば良い」や「パワハラをしてきた先輩や上司に罰が当たれば良い」とばかり思っていた。

新型コロナの正体がまだはっきりと分かっていない、最初の緊急事態宣言が発出され、飲食店が相次いで時短営業や休業し始めた頃、退職したホテルのレストランも例外ではなかった。この頃は、「今まで人に散々ひどいことをしてきたから罰が当たったんだ。このまま潰れれば良いのに」と思っていた。
でも、2回目、3回目の緊急事態宣言が発出され、経営難で次々と閉店していく飲食店の状況をニュースで見ているうちに、初めて「私のふるさとがなくなるかもしれない」と思った。
たしかに、嫌な思い出が山ほどあるのは事実だ。でも、それ以上に大好きだったホテル、接客の仕事に情熱を注いだ場所。自分が存在していた場所がなくなってしまうかもしれないと思った時、寂しいと本気で思った。

ひとつひとつを思い返すことで、大切な場所であることに気づいた

特に、新卒で入社した会社。何もかも初めてで、世間知らずだった22歳の私が、壁にぶち当たりながら、何度も涙を流しながらも、社会人として一歩一歩、たしかに歩みを進めてきた場所。内定式、入社式、配属式、新入社員研修、新卒でしか経験できない行事にいくつも参加させてもらった。

それだけではなく、部署は違っても、社内ですれ違うと笑顔で「おはよう!」や「お疲れ様!」と声をかけてくれた同期。毎日退勤後や空き時間に練習と試作を繰り返して、先輩に「美味しい」と言ってもらえたカクテル。お客様から頂いたお褒めの言葉。自分の不甲斐なさに悔しさが込み上げてきて、こっそり泣いたバーカウンターの片隅。大きな窓から見える東京の朝日や夕焼け、宝石がちりばめられたような夜景。

ひとつひとつの景色が、全力で挑んだ日々と共に脳裏に蘇る。ひとつひとつを思い返すことで、私にとって思い出が詰まった、大切な場所であることに気づいた。
今回、エッセイを書くことで、泥だらけの嫌な思い出が、透き通った水で洗われて、浄化することができた気がする。
「私、頑張ってたんだな」と、過去の自分を認めることができた。過去の辛い思い出を最強のエネルギーに変えて、素敵な未来をこれから作っていこうと思う。
そう思わせてくれる「私のふるさと」がこれからもずっと変わらずあり続けてほしい。