刀剣乱舞、という言葉を目にしたことがあるだろうか? 日本刀がなぜか人間になって戦ったりする、スマホゲームのアレ。

友達との話題にのりたくて始めたゲームに、いわゆる「推し」ができた

きっかけは中学の頃、歴女の友達に勧められたことがはじまりだった。
その時は友達同士の話題についていきたい思い一心で、まさかこれほど深く沼にはまるとは思ってもみなかった。飽き性のわたしだがこつこつとゲームを進めるうちにお気に入りのキャラ、いわゆる「推し」というものができた。その端正に描き込まれたお顔はもちろん、彼らの来歴や持ち主の歴史に心惹かれていくようになったのだ。
やがてその思いは日に日に強くなり、「彼らに実際に会ってみたい」と思うようにまでなった。推しとは同じ国に生きていたとしてもおいそれと会えるものではないが、現存している日本刀は機会さえ合えば、少し足を伸ばせば会えるものなのだ。
国宝や重要美術品といった、一昔前ならばお城やお屋敷の蔵の中にしまわれていて庶民は一生目にすることができなかったような子たちを間近で見られるのだ。とても貴重な体験だった。
……とはいえど、素人が少し勉強していった程度では1つ1つの違いなど分かるものではない。ましてやガラスケース越しに細かい地鉄や刃文などはなかなか見えにくいもの。
けれど時々……整然と並んだ刀たちの中でもハッと目を惹き付けられるような出会いがある。
まさに一目惚れ、百年に1度の恋。わたしにとってそれは、「山鳥毛」と呼ばれる刀だった。

母の病気が発覚し、山鳥毛への恋はあきらめ、大人になろうと決意

出会いはとある美術館で彼が写ったパンフレットを見たこと、2019年の山鳥毛里帰りプロジェクトの展示予告だったと思う……当時、山鳥毛はまだゲームで実装前だった。
その名の通り、山鳥の美しい羽根のように悠然とした見事な重花丁子の刃文。肖像からも伝わってくる、その力強さと凛々しさに胸が高鳴り「彼こそわたしの推し」と一目で直感した。
会ったこともない、顔も知らない男にわたしは恋に落ちたのである。初めての感情に心を震わせた。
それからというもの、彼の刃文が目の前をちらついて離れなかった。短期間で遠方だったこともあり、当時は泣く泣く展示を見送ったが、その日からわたしの夢は「死ぬまでに彼に会いに行くこと」に変わった。
そうこうしているうちに月日は流れ、山鳥毛がはじめてゲームに登場し、2度目の展示も決まった。しかしちょうどその頃……母のがんが発覚した。年明けと春に2度の手術が必要、命のリスクもあった。旅行などと言っている場合ではない。
次いつ彼に会えるか、また展示があるとも限らない。
「現実を見て、趣味に区切りをつけなければいけない」
もうこの恋は終わらせよう、大人になろうと思った。

山鳥毛は、最高の推しで、愛刀であり、家族の絆を深めた思い出の象徴

まだ未成年だったわたしには生活上の問題や病院の手続きなどにおいてもままならないことが多く、正直なところそんな心の余裕は残っていなかった。あの日々はまさに戦いだった。10万匹の蛍を集める方がはるかに容易い。
しかし、そんな戦いに母は勝利した! 1度目の手術は成功、術後経過は非常に良く、予定より早く退院もできた。
すると家に帰ってきて早々母がこう言ったのである。
「岡山いつ行く?」
……わたしの母は、実に見習いたいくらいタフな人であった。岡山で山鳥毛の再展示が始まったと、少し前にわたしが話していたのを、母は覚えていてくれたのだ。願ってもみない提案だった。
2020年2月、こうしてわたしは晴れて念願の山鳥毛と運命の出会いを果たしたわけである。ようやっと再会を果たした織姫と彦星のような気持ちであった。
名古屋から岡山まではるばる新幹線で2時間の天の川を超え、逸る気持ちを抑えながら会いに行った。刀身をギラリと光らせるその勇姿は、ガラスケース越しにでもなんと美しいことだろう。5億の男は値段に劣らず半端ではなかった。時を超え、彼が現代まで姿形を変えずにあり続けてきたのは素晴らしいことである。
あれから数ヶ月、母は2度の手術を経験したが奇跡的なスピードで回復を果たした。術後わずか10日での弾丸旅行、この頃はよく旅の思い出を語りながら、「また行きたいね」と話している。
……わたしはいつまでも変わらず彼に恋焦がれながら、再会の日がそう遠くないことを願っている。
わたしにとって山鳥毛とは、最高の推しであり、愛刀であり……闘病生活の中で家族の絆を深め、母の親心を感じた、忘がたい思い出の象徴でもあるのだ。
だからこそこの恋心は、いつまでも大切に胸の内にしまっておきたいと思う。