私は昨年出産をした。
産んでみて思ったが、帝王切開はそんなに珍しいことではない。
私は当たり前に自然分娩になるだろうと思っていたし、自然分娩の割合の方が圧倒的に多いとなぜか思い込んでいた。しかし、実際には帝王切開になった。
まさか自分自身が帝王切開をすることになるなんて思ってもいなかった。

陣痛がこない私は促進剤を使った。「できればもう出したい」と先生から伝えられた

私のお産は破水から始まった。
それも高位破水という、少しずつチョロチョロと体外に羊水が漏れ出る破水で、破水だと気がつくまでに少し時間がかかった。破水かな?と思い始めてから、病院に電話をし、そのまま入院。「陣痛がくるまではゆったり過ごしてください」と助産師さんに言われ、我が子との対面が間近に迫っていることに胸が高鳴っていた。

しかし、こないのだ。陣痛が。
ちょっぴりじんわり痛いなぁ、程度の微弱陣痛はやってきたのだが、待てど暮らせど本陣痛がやってこない。夕方に子宮口3㎝で入院したわけだが、そこから1㎝も開くことなく、微弱陣痛のまま朝を迎えた。

そこから私はレントゲンを撮って骨盤を調べ、昼まで陣痛を待ち、やはりやってこない陣痛を迎え入れるため促進剤をうった。促進剤を始めてから2~3時間経った頃に、今までとは比べものにならない痛みがやってきた。痛い。とにかく痛い。これが陣痛か。
痛くてたまらなかったが、これでやっと我が子に会えるのかと思って少し安心した。

しかし、先生に内診をしてもらうと子宮口は4㎝。あれからたったの1㎝しか進んでいないということだった。先生から「破水から24時間以上は経っているから、できればもう出したい。自然分娩にこだわりたかったらもう少し粘ってもいいが、今から6時間はかかりそうだし、それでも出ない可能性はある」と伝えられた。

帝王切開で出産をした。お腹を痛めていないのに立派に出産したと言えるのだろうか

私は当たり前に、自然分娩をすると思っていたし、急に手術だと言われても心の準備なんてできていやしない。だが、無事に生まれてきて欲しい一心で手術を決めた。痛みで声も出せない私はただただ頷いていた。

そこからはあれよあれよという間に準備が進められ、局所麻酔を打たれ、手術が始まり、我が子が目の前に現れた。

しわくちゃの顔、濡れている髪、小さくも力強い泣き声、私にそっくりな一重。
麻酔を打たれてからはどこにも痛みは感じず、産んだ!という感覚も持ってはいなかったが、生まれてきた事実に気がつくと、ただただ涙が流れていた。止まれ、止まれと思っても、動けない手術台の上で涙を止める術を私は持っておらず、そのまま手術台にポツリ、ポツリと涙を落とした。

帝王切開で産まれた子は1日保育器観察だそうで、術後、我が子はそのまま保育器の中へ。私は下半身に麻酔が効いており、動けないまま病室に運んでもらって、投与された薬によって睡魔に襲われ、そのまま眠りに落ちた。

目が覚めてから、私はなぜかとてつもなくネガティブなモードに入ってしまっていた。
誰かがお見舞いに来てくれている時間は気が紛れて良いのだが、問題は夜だ。誰もいない病室に一人でいる時。私は毎晩のように泣いていた。

私はお腹も痛めてないのに立派に出産したと言えるのだろうか、と考えては不安になり、夫に立ち会いを経験させてあげられず、そしてその機会は今後も得られないと思うと申し訳ない気持ちに苛まれた。お見舞いにきてくれた友人が自然分娩の話をした時には、マウントをとられたような気持ちになり、私はもう一生その経験をすることはないのかと感じて勝手に落ち込んだりもした。

「立派な母親の勲章よ。」帝王切開の傷を見た夫の一言が私の心を救ってくれた

そんな時に、親友が友達のナースに帝王切開について聞いてきた!と連絡をくれた。
帝王切開のこと詳しく聞いて、それがどれだけ大変なことか、危険が伴う可能性があるのか、初めて知ったよ、と。それだけ命懸けで産んでるんだよ、ちゃんとお母さんだよ、と。
私は母親だと胸を張って言えるのか、ずっと不安だったことを、ずっと自分で認められなかったことを、言葉にしてもらえた時、やっと心が暖かくなった。

翌朝、何気ない会話を夫としていると、帝王切開の傷の話になった。
「立派な母親の勲章よ。」
夫自身、深い意味もなく何気なく放った一言だったのだろうと思う。
しかしそれは、私の心を救うには十分すぎるくらいの重みを持った言葉だった。

私はちゃんと「出産」をし、世界にたった一人の愛おしい我が子のたった一人の「母親」になれたのだ。
いろんな形のお産がある。自然分娩の人も帝王切開の人もいる。だけど、形も方法もなんだっていいのだ。命と向き合い、命を生み出す。そんな出産を終えた女性は全員、それだけで立派な母親なのだ。

私はようやく胸を張れ、正解のわからない「母親」という役割を果たすための一歩を踏み出した。