私が生まれ育った故郷は、肌に触れる空気感も四季折々に変わり、米や酒、野菜に果物などがとても美味しく魅力ある所だ。

青く澄んだ稲の緑色。四季の移り変わりを感じられる田舎は良い

田舎は良い。
ジリジリと暑い夏の日に、田んぼ道を親友と「夏色」を歌いながら自転車に乗って走り抜けた。

青く澄んだ空と稲の緑色はとても綺麗だ。
土臭さと制汗剤の匂いが風に乗り鼻から抜けていく。
流れる汗を拭いながら大声で歌う。
幸せな時間だった。
ああ……。今、思い出しても恥ずかしいくら位に、素晴らしい青春である。

春は、桜や桃の花の香りと暖かなお日様の匂いが、入学式や進級した日を思い出させる。

夏は、早朝の田畑から香る土と水の匂いと草木の青臭い葉の匂いが爽やかだった。
朝食に食べるもぎたての硬い桃は、サッパリとした甘みで絶品だ。
秋に感じる金木犀の香りは甘く幸せである。鼻先が冷えてきて季節の終わりを感じる。夏から秋に切り替わる瞬間も繊細で好きだった。
冬の訪れは、鼻に抜ける冷たい空気と雪の匂いだ。ストーブの灯油の臭いもとてつもなくエモーショナルである。

田舎って素敵でしょう?
匂いや空気に敏感になる。
雨が降る匂いも私は好きだ。

しかし、私の大好きな故郷を一瞬にして豹変させる出来事が起きたのだった。

2011年3月11日。中学校を卒業した日に私の故郷は変わった

2011年3月11日。
中学校を卒業する日に、私は東日本大震災を経験した。今でも忘れる事が出来ない。
卒業式後に打ち上げする為にカラオケボックスにいた。
その場にいた全員の携帯から、地震速報のアラームが鳴り響いた。
鳴り止まない警報が恐怖だった。
ガタガタと揺れ始めてテーブルに身を隠していたが、外に出るように誘導指示があり駐車場に避難した。

駐車場にでると空は明るいのに雪が降り、風もあった。そうかと思えば、晴れてお日様が顔お出したり雷が鳴り響き、自宅に帰る際には雨が降り始め霙になった。

異常だ。
地震は私達が外に出るとゴォォと音を立てて強く地面が揺れ始めた。
立ってるのは困難。手を繋いでしゃがみこんだ。
恐怖で涙を流す友人に、
「大丈夫だよ」
「直ぐに落ち着くから」
と、声をかけると共に自分にも言い聞かせた。
電柱が大きく揺れ、道路を走っていた車は停車していたがバウンドする様に揺れていた。大きな地鳴りと共に私は人生の終わりとこの世の終わりを感じた。

それから私の故郷は変わった。

震災があったから知れたふるさとの良さ。ふるさとで生き続けたい

子供達は公園では遊べなくなり、学校から、線量の積算計を渡されて肌身離さず持ち歩く。プールや校庭で行う授業はなくなった。線量が高いため入れない場所や通れない道もあった。

毎日、ニュースで流れる放射線量の数値。
私はそれまで放射線や原発を考えたことはなかった。
あの日以来、放射線が身近になり10年経つ今も線量について考えてしまう。
公園には線量計が設置されているし、定期的に県から甲状腺検査の知らせが来る。

除染作業で出た行き場のない汚染土壌が入った真っ黒な袋を見る度に、震災を思い出す。
また、最近ではある国が私が住む県の食材を使いたくないとニュースになった。
私達、県民は米や野菜、魚や肉の検査を通してから消費者に渡ってる為、他県の食材より安心だと思っているが、不安感を抱いてしまう方が多いのが現状だ。目に見えないものだからこそ不安になるのだろう。

私が新型コロナウィルスに対して恐怖心を抱き、不安になっている事と同じ事なんだと思う。
私は震災があったから改めてふるさとの良さを知った。
そして、ふるさとで生き続けると誓った。

ここで生まれ育ったから出会えた人がいる。故郷に生まれて幸せだ

故郷は少しづつではあるが復興している。
私の子供達が大人になる頃はどんな景色が広がっているのだろうか。
何が起きても私の故郷であることに違いはない。

ちゃんと、私が好きな季節の香りは今も変わらずにする。
通っていた小学校は廃校になり取り壊されたけど、沢山の思い出が心に残っている。
挫けそうになった時に地元に帰ると気持ちが楽になる。
それだけで十分だ。
これから先も住み続けたいし、ここで生まれ育ったことにより、夫や親友に出会えたのだ。
故郷には感謝でしかない。

私はこの故郷に地元に生まれて幸せである。