いつだっただろうか、私の目の前に真っ直ぐと長く続いた道が現れたのは。
いつからだっただろうか、その道を一直線に寄り道もせずに歩き始めたのは。
その道の先には、私の夢があった。それも、憧れの職業だ。
いま考えると私にとって、それはゴールだったのかもしれない。
早く憧れの職業に就きたくて、最短距離で夢を叶えられる道を描いた
学生時代は、大量の課題を抱えながらもアルバイトをしていた。国家試験の勉強もしなければならなかったが、朝から学校に行き、アルバイトを終えてから夜な夜な勉強したりもしていた。私の帰りを待ち、一緒のタイミングで問題を解いてくれる友達もいた。
「えらいね。こんな時間にやってるなんて」と、言葉をもらう。
自分では当たり前だったから、その言葉に驚きつつも、1人では歩けなかった道だと、つくづく思う。
最初は霧がかっていたゴールも、歩けば歩くほどに視界は晴れる。時には走り、疲れるときもあったが苦ではないのだ。もしろそれが、充実感へとつながっていた。
ゴールに向かっているときは、実にタフだ。走る分だけ、霧が晴れたのだから。
私は、早く憧れの職業に就きたくて最短距離で夢を叶えられる道を描き、その上を歩んだ。
早ければ早いほど、キャリアを積むことができるし、どうせ同じ道を進むのならば、早いに越したことはないと思っていたのだ。
オリンピックが放映されている中でも、「10代でメダル」と聞くと世間は、すごい!と沸いているように感じるし、私自身も相当な努力をしてきたのだろう、とその選手がキラキラ輝いて見える。
国家資格を手に入れ、憧れの職場に。責任という圧力に足がすくんだ
理想の道を逸れずに歩くのは難しい。大学時代に精神疾患の診断を受けた私は、目指していた助産師になることを諦めざるを得なかった。思いがけない迂回もつきものみたいだ(当時は助産師と看護師国家試験のダブル受験を目指していたが、助産師を諦め看護師の国家資格の取得を目指した)。
幸い、迂回路もあった私はなんとか歩き続け、看護師国家資格は手に入れることができ、憧れの職場で働くことは出来たのだ。
しかし、ただ毎日の仕事をこなす日々に、充実感など感じることが出来なかった。責任という圧力に足がすくみ、ゴールのない道が果てしなく続くような気がして、自分がいま歩いているのか止まっているのか分からなくなるぐらいだった。
気づけば、仕事へ行く足も止まっていた。足を止めた瞬間から目の前のゴールなき道は一気に崩れた気がした。
道なき道を歩めるほど器用ではなかった。理想と現実の差に衝撃を受けた
私は走れば霧は晴れるものだと、思っていたのだ。歩いても見えない道はないと信じていたのだ。社会に出て、理想と現実の差に落雷のような衝撃を受けた。いくら走っても理想の姿に近づくことは出来なかったのだ。
私がゴールだと思っていたものは、通過点に過ぎなかった。それなりにわかっているつもりではあったが、ゴールの先に続く道が私にはよく見えなくなってしまったのだ。道なき道を歩めるほどに器用ではなかったようだ。
これからは、どんな道だって描くことが出来る。道は1本だけではない。いつからだって、どこへだっていける。どの道を選択するか、開拓するか、行き先は無限にあるように思える。
これも立ち止まったからこそ見えた景色だ。
こうして立ち止まっているように見える今だって、いつか振り返ったときには晴天へとつながる道になっているだろう。