現在のコロナ禍において働き方に変化が見られている。これをきっかけに働くことと向き合った人は多いだろう。わたしもその1人だ。

わたしは看護師で感染病棟に勤務している。だがはじめから感染病棟への配属を希望していたわけではない。もっといえば看護師だってはじめから希望していたわけではなかった。

自信がなかった学生時代。仕事では人に必要とされる職業に就きたかった

わたしが看護師になったのは人の役に立ちたいと思っていたからだ。これだけだと立派な理由に聞こえるかもしれないが、その根底にあるものは人に必要とされたい、自分を価値のない人間だと思いたくないという自信のなさからくるものだった。

高校生のとき、進学校へと進んだが、大学受験ばかりを意識した授業に嫌気がさしたわたしは受験なんか絶対にするものかと就職を選ぶことにした。趣味がなくやりたいことも思いつかないし、友達が少なく、人望もないわたしは仕事くらいは人に必要とされる職業に就きたいと考えた。

安定もあるとよいと思ったわたしは国家公務員か地方公務員を目指すことにした。勉強の甲斐もあり一次試験は合格したが、どちらも面接で不合格となった。志があるわけでもないので当然といえば当然の結果だったのだろう。

まともな理由で公務員を目指していなかったわたしは、来年の受験も公務員試験に必要な勉強のために大学へいこうとも思わなかった。どうしようか悩んでいると、進路の話のため担任に呼び出された。

「看護師は一生勉強です。学校を卒業した後も自己研鑽に励みましょう」

「進路どうするの?」
「センター試験は受けたくないです。できれば就職がいいんですが、別にやりたい仕事もないし、どうしようか迷ってます」
担任の質問に対してわたしは素直に考えていることを話した。

「看護師とかどう?国家資格だよ。まぁきついとかつらいとか言われてるけどね」
「国家資格ですか。仕事だと言われれば我慢してやりますよ。じゃあ看護師になることにします」

こうしてわたしは看護学校を受験することになった。今思えば浅はかだ。看護学校のことをよく調べていればこんな考えにはならなかったかもしれない。

周りの同級生でも看護師を目指す人がいた。彼女たちは母親が看護師だったり、小さい頃に入院して看護師に憧れを抱いていた。そんな中でわたしも人に必要とされたいという思いを人の役に立ちたいという言葉に変えて看護学校受験に臨んだ。

無事に合格し、晴れて看護学生となったわたしは最初の授業で衝撃を受けることとなる。

「看護師は一生勉強です。学校を卒業した後も自己研鑽に励みましょう」

看護師になった今ならよくわかる。日々進歩していく医療に携わるのだ。勉強しなくていいはずがない。だが看護学校を辞めてまでやりたいことのないわたしは、辛い実習にも耐え、看護師として人生を歩み始める。

就職先は実習のときに優しく接してくれた病院を選んだ。家から1番近いというのも理由の1つだ。部署は説明会で雰囲気の良さそうだった消化器内科を選んだ。だが半年も経たないうちに病院の都合でわたしは呼吸器内科へと移った。

新型コロナウイルスが流行。ナースステーションにはパーテーションが作られた

看護師2年目になりわたしは消化器内科に戻されたが、内科と外科が統合されており、両方の患者さんをみることとなった。外科はやりがいもあったが、要領の良くないわたしにとっては内科と比べて仕事量が多く、責任も大きいように感じた。業務を負担に思っていたことが伝わったのか、看護師4年目からは呼吸器内科に異動となった。

そこで2年ほど働いた頃、新型コロナウイルスが流行した。

わたしの勤務先の病院には感染症病棟があったが、普段は使われておらず片手で数えられるだけのベッドがあるだけだった。こんなものいつ使うのだろうと就職してからずっと謎だったのだが、こういうときのためだったのかと納得した。

病棟自体はあるが人はいない。そこでわたしの働く呼吸器内科で新型コロナウイルスに罹患した患者をみることになった。今後の流行も考え、呼吸器内科病棟は感染症病棟へと名前を変えてナースステーションにはパーテーションが作られた。

症状的には呼吸器内科でみるべきなのだろう。そこは納得できる。しかし、特効薬もない未知のウイルスなのだ。わたしはスタッフに感染病棟で働くか異動するか、選択権が与えられると思っていた。しかしそんな機会は訪れなかった。

コロナ禍を乗り越えた先に待っているのはどんな感情だろうか

スタッフはみんな不安を抱えていた。中には子供がいるスタッフもいた。わたしも不安だった。自分が感染したら、誰かに感染させてしまったらどうしようと。私たちだけこんな思いをするのは理不尽だと思った。

だが患者は次々に増えていく。この先どうなるのだろうという不安もでてきた。ナースステーションまで病院食を運ぶ調理師は「感染するのが心配なんです!辞めたいって言ってる人もいるんですよ!」と怒鳴っていた。わたしたちは文句も言わずに患者さんの病室に入っているのに。

しかしさすがは看護師と言うべきだろうか。スタッフ全員肝が据わっている。業務の見直し、マニュアルの作成、ゾーニングの確認、ガウンの着脱方法の確認など、やるべきことをスタッフで話し合いながら進めていった。自分たちを守りながら患者さんの必要な看護をするためにはどうしたらいいか、一人一人が考えていた。

プライベートも自粛され、ストレスも溜まっていった。わたしは奥歯の噛み締めが出現した。ストレスでこんな症状がでるなんて人生で初めてだった。

それでもスタッフ同士で支えあいながら第1波を乗り越えた。そのころにはわたしたちの中には最前線で働くことの誇りが芽生えはじめていた。第2波を乗り越えた頃には感染病棟での業務に自信を持てるようになっていた。現在は第3波真っ只中だ。これを乗り越えた先に待っているのはどんな感情だろうか。

誰かに必要とされたい、そんな気持ちで始めた仕事だったが、今回のコロナ禍で看護師は人の役に立てる仕事だと改めて実感することができた。たくさんの人が医療従事者に感謝してくれた。看護師でいることに自信が持てるようになった。

自信を持って生きられること、これがきっとわたしの働く理由なのだ。