子どもの頃の私は、自分が将来どんな仕事をしているのか、妄想するのが好きだった。
だから「将来の夢は?」と聞かれるたびに、答えがころころ変わっていた。看護師さん、幼稚園の先生、イルカショーのお姉さん、作曲家、女優…どんな職業もやってみたかった。妄想の中で、大人の私はキラキラしていた。
私が思い描く「大人の私」は、いつもキラキラしていたのに現実は…
高校生の私は、すっかり現実主義者になっていた。これからの時代、結婚しても夫だけの給料に頼る生活は相当難しいだろう。お金持ちと結婚する確率も低い。
ならば、女性でも収入が得られ、且つ妊娠や出産を経ても働きやすい職業とはなんだろう…私がいきついた答えは、奇しくも子どもの頃憧れていた“看護師”だった。
目指すと決めたからには、専門性の高い看護師になって、やりたいこと全部やってやろう、なんて夢を持っていた。夢のために、受験勉強もがんばることができた。勉強している私も、看護師になった私も、キラキラしていた。
社会人の私は、覚悟が足りなかった。最初から専門性なんて身につかないから、まずは地道にコツコツと経験を積むしかないのはわかっていた。だけど毎日つらかった。
職場を変えた今、その頃を振り返ってみるが、楽しかったことは思い出せない。つらかった思い出にかき消されてしまう。
さらにつらかったのは、先輩が誰一人としてキラキラしていなかったことだ(のちに異動してきた先輩は専門性の高い資格も持っていてキラキラしていたけど)。私の中には、キラキラした私はもういなかった。これから先、この先輩たちのように、文句を言いながら日々の業務に忙殺され、後輩にキラキラしてないと思われながら働いていくのか。
人生はRPGみたいなもの。私が「本当になりたいもの」って?
この当時、仲良くしていた大学の先輩に泣きながらよく相談した。先輩はこう言った。「人生をRPGみたいなゲームとして考えてみてさ、今はレベルも低いし初期装備だから、敵と戦うのもつらいでしょ?なりたい自分に向かってレベルアップしていけばいいんだよ。最終的に何になりたいか考えよ」。
毎日つらかった私は、早々に専門性の高い看護師になることなんて忘れていた。だけど、この言葉を受けて真剣に考えた。私は本当に看護師としてキャリアを積みたいの? どうして看護師になりたかったんだっけ?
その問いに高校生の私が「女性のあなたが、結婚しても出産しても収入を得られる最適な仕事が、看護師だと思ったからだよ」と答えてくれた。
あれ、じゃあもしかして、私が一番なりたかったものって、“およめさん”だったんじゃない…?
幼い私が考える大人の私は、大前提としてどの職業になっても結婚していた。一人で生きていくことなんて考えてなくて、夫と子どもと暮らしていく未来しか見ていなかった。
私にとって看護師であることは、“およめさん”になって生活していくための“手段”だったと気づいた。つらい毎日は、私の本質をうまく隠してしまっていたのだ。
私のゴールは「およめさん」。理想の人生のために今日も働く
目的が明確になった私は、手段を変えようと思った。
その頃はいろんな人との出会いがあった。フリーランスとして働きながら家族との時間を大切にする人や、起業して夢である海外移住を実現しようとしている人、職場から一歩踏み出したらキラキラしている人にいっぱい出会えた。
その中には、仕事のために人生を消費する人はいなかった。夢のために仕事をする人ばかりだった。
今の私は、理想の“およめさん”になるべく働いている。自分の収入が結婚にも出産にも影響されないように、家にいてできる仕事を作っているところだ。
全然楽な道ではないけれど、仕事を作るというのはかなり楽しい。少なくとも毎日つらかった私より、ずーっとマシである。仕事のために人生を消費しない、理想の人生のために働いていきたい。