28歳、独身。
結婚ラッシュの第一波が過ぎつつある。毎日忙しなく新しい情報が更新されていくSNSは、誰かしらの子供の写真で埋め尽くされる。
「30歳までには」なんて誰かの言葉を鵜呑みにして、どこからともなく湧いて出てきた焦りのようなものを感じていたのは、きっと私だけではないはずだ。
東京五輪が終わる。魔の30歳が目前に迫る頃、そろそろ第二波が来るだろうか。

アプリで出会い、食事し、告白され交際。模範解答みたいなよくある話

重い腰を上げてマッチングアプリに登録した。年齢、年収、職種、趣味、あらゆるデータをもとにあり・なしを仕分けていく。意気揚々と。気分はまるで履歴書の書類選考を行う人事担当である。
書類選考通過者と面接を重ねていく。めでたく最終面接までたどり着いたのが彼だった。
メッセージのやり取りをし、食事に行き、3回目のデートで告白され付き合った。私は内定を出した。絵に描いたような、模範解答みたいな、よくある話。
地元ではそこそこ良い大学を出て、よくわからないが難しそうな仕事をしていて、英語が喋れて、質素だがそこそこ設備の整った部屋に住み、時々ジムに通い、余計なものは買わず、ギャンブルもせず、それなりに両親との関係も良好で、背も高くて、顔もそれなりで、と、つまり、「結婚するには申し分のない人材」であった。断る理由などなかった。

仕事終わりに食事をしたり、彼の家に泊まったり、旅行したり。平凡だけど確かにあたたかい、当たり障りのない日々。
楽しいと言えば楽しい。会話は弾まないけど。まぁ趣味合わないししょうがないか。
そんなことより、これを逃すわけにはいかない。年齢的にも贅沢言っていられない。それなりに楽しいし、いいでしょう。婚活アプリで出会ったんだもの、きっと彼もその気だろうし。
でも本当にこの人でいいの?毎日一緒に生活できるの?あれ、そもそも私、結婚したいの?

この期に及んで、妥協することを妥協した。今の私は過去一番強い

新型コロナウイルスの流行により、数ヶ月会わない時期が続いた。何の苦でもなかった。むしろ会わなくていい口実ができたとさえ思った。
もう修復は不可能だった。私の気持ちが。そして別れた。何がが始まる時はあんなにも劇的なのに、終わる時は一瞬で、限りなく日常だ。

条件さえ良ければ、大して好きでなくてもどうにかなるだろうと、割り切って付き合ってはみたものの、やっぱり合わないなって感じてしまったら最後、一瞬で興味が消え失せて、何もかも面倒になって、さようなら。そんなことを私はこれまで何度か繰り返してきた。
いい加減、このパターンから脱却せねばならない。私にも、相手にも、時間は限られているのだから。
逃した魚は大きかった。それでも私はその魚を、海に返すべきであった。だって私さっきから、私の話しかしていない。相手を思いやれないようじゃ、病める時も健やかなる時も、共に人生を歩んでいけっこない。結婚はゴールなんかじゃないのだから。

「完璧な人なんていないんだから、ある程度の妥協は必要」だと思う。ごもっともである。しかし私はこの期に及んで、妥協することを妥協した。今の私は過去一番強い。
一度きりの、他の誰でもない、自分のための人生。「それなりの幸せ」なんて願い下げだ。
直感を信じて、心が叫ぶ好きの声に従って、好き勝手生きてやろう。