「負けず嫌い」の反対ってなんだろう。
負けるのが好きなわけじゃないけど、人生の中で負けを喫する機会が多すぎて、すっかり負けることに慣れてしまった。就職活動の際、いわゆる“お祈りメール”が来ても「あっそ、またか」としか思わない。
「負け」だらけの私の人生で悟った、努力じゃなくて結果が全て…
中学の部活には6人の部員がいて、5人しか出られない試合形式では、いつも私だけ出られなかった。試合を終えたメンバーと全く同じ気持ちを共有することはできなかった。
大学受験では、1年浪人して毎日必死に勉強したにも関わらず、3点足りなくて第一志望に不合格。努力じゃなくて結果が全てなんだなって、悟りを開いてしまったのはあの時かも。
就活が始まると、周りの友達が次々と就活を終えていく中、私は夏になっても暑苦しいリクルートスーツを着ていた。
やっと内定が出た会社に就職したけれども、そこでも上司に目をつけられて毎日理不尽に怒られ、家まで涙は我慢しようと思っているのに、家まであと少しの曲がり角でもう涙が溢れ出てきた。道行く人にばれないようにマフラーに顔を埋めてうつむいて歩いた。玄関のドアを閉めた瞬間にもっとたくさんの涙が溢れた。
そんなふうに、人生において“負け”だらけの私が、またお祈りメールという負けの数記録を更新しているのは、人生で二度目の就活をしているから。
結婚に伴い前述の会社を辞め、引っ越してきた土地での就職活動。約半年間で、いったいいくつの不採用通知をもらっただろう。しかも、それらのほとんどには「総合的に判断して、あなたは当社が求めている人材ではありませんでした」といったなんともふんわりした、理由ともいえない理由が書かれていた。
私がほかの人みたいにニコニコ笑顔で、高い声で話すのが苦手だから? 面接でのどこかしらの発言が気に食わなかったの? そもそも結婚している女は、すぐに子供を産んだり育てたりするために辞めそうだと思われているから?
中途半端でやるせない思いのまま過ぎていく。どうすれば…?
結局、直すべきところも努力するべき目標もはっきりとは見つからないまま毎日が過ぎていく。テレビを観ても、道行く人を見ても、ああこの人は頑張ってお仕事しているのに、私は社会に必要とはされていないんだなと悲しくなる。家で最低限の家事をしたり、昼寝したりするだけ…。面接の予定が入らない限り、明日もまた同じようにほかの人を羨んで、自分を責めるつらい日がやってくる。
仕事をしている日も毎日つらかった。仕事を辞めても、また別のつらさがあったとは。
このままじゃいけない、家にいてもできる何かがあるはず、やってみなきゃ。でも何を、どうやって? 資格の勉強をしてみたり、趣味を深めてみたりしても「それよりも就活を頑張らなきゃ、それが本業だし」などと考えて先に進まない。結局どれも中途半端で、やるせない思いのまま。どうすればいいんだろう。
負けることに慣れてしまっている自分。でも、やっぱり傷つくし悔しい
「負け」の反対ってなんだろう。「勝つ」ってなんだろう。
何に、どうやって勝つのが正解なんだろう。昔勉強ばかりしていたせいか、人生のうちに起こる何においても模範解答を探してしまう。その通りにしなきゃ、周りの人から見て、正しいことをしなきゃ。
でも、そうやって自分自身の首を絞めているのは、いつだってほかならぬ自分自身なのだと最近気づき始めていた。ほかの人は、たぶん自分が気にしているほどに、自分のことなんて気にしていない。その人も自分のことを考えるのに忙しいしね。
負けに慣れている私でも、負けるとやっぱりそれなりに傷つく。くやしい。後悔する。
今の私にできることは、負けた自分を嫌だけどちゃんと見つめ、どうすればよかったのか考えて、できることがあればして、そして自分を認めてあげること。たまに自分に甘いケーキを差し出し、「負けたってことはちゃんと戦ったってことだよ」と言ってあげること。
そんなことを繰り返すうちに、気付いたら「負けてばっかりの人生」なんて自虐的なことばを忘れてしまえていたらいいな。