コロナ禍、自分は何がしたいのかと考えた
今年の社会人7年目になるいちメーカー営業マンの私でも、社会のために何かを成したい。世界をよりよくしたい。人々を幸せにしたい。
新入社員のときには考えられなかったが、7年目にして自分も社会のためになっているのだと気付いた。では何ができるのか。
2020年はコロナ禍で今までの生活と一変した。商品が売れず売上がガタ落ち。
また、在宅勤務のため職場のメンバーとのコミュニケーションが取れず、毎日不安であった。
3月には東京オリンピック・パラリンピックの延期が発表されて、4月には緊急事態宣言。
ニュースでは、営業停止となった飲食店の店長のインタビューや甲子園中止を知って泣き崩れる高校球児の姿が毎日流れていた。
取引先からの売れ行き不振の報告を受け、今物を売ることが正しいのかと不安になった。困っている人の力になれることが、他にあるのではないか。この会社にいていいのか。
必然的に自分は何がしたいのか考える時間があった。
「オリンピックに携われる」その未来予想図が崩れた
2013年の秋にオリンピック・パラリンピックの東京開催が決まったとき、私は大学4年生でオリンピック・パラリンピックのスポンサー会社である今の会社に就職が決まっていた。教科書に載るような世界的イベントに関われることに期待していた。
“会社のお金で観戦できるかも”なんて浮かれてもいた。
個人的にも期待とわくわくで迎えるはずであったオリンピック・パラリンピックが延期となり、未来予想図がボロボロと崩れた気がした。
2020年の年末年始、少しでも楽しい気分になろうと昔から好きである宮藤官九郎さんのドラマを見返して正月を過ごした。『タイガー&ドラゴン』『池袋ウエストゲートパーク』……そして、2019年の大河ドラマ『いだてん』の最終話。
泣いた。一緒に見ていた夫もびっくりするくらい泣いてしまった。
そして、「何がしたいか」の問いに一番シンプルに出てきた答えは「オリンピック・パラリンピックに関わりたい」ということだった。
スポーツの力を、多くの人に体感してほしい
『いだてん』で知った知識だが、1940年、戦争の影響で日本はオリンピックの開催を諦めている。
そんな過去を乗り越えて迎えた1964年の東京でのオリンピック。主人公の阿部サダヲ演じるオリンピック招致のキーマンであった田畑政治氏が、国立競技場を涙こらえて嬉しそうに見ているシーンで、涙腺が爆発してセリフも聞き取れなかった。「2021年、オリンピック・パラリンピックはやる」そうもう一度思えた。
私がなぜここまでオリンピック・パラリンピックにこだわるのか。それは、スポーツには力があるからだ。人を動かして前を向かせる力があると信じている。
もちろんありきたりなセリフだってわかっている。しかし、このコロナ禍だからこそより強く感じている。
2019年のラグビーワールドカップで日本選手団の活躍を見て、心が熱くなった人も多くいるはずだ。
もちろんミーハーな私も例外でなく、日本戦は職場の方とスポーツバーに観に行った。
あの盛り上がりをもう一度体験したいのだ!
最後の引退試合がなくなったあの球児たちも、東京でメダルをとる選手の姿にきっと希望をもらえる。
まだ、スポーツ自体に親しみがない小学生にもスポーツから得られる楽しみや達成感を経験させてあげたいが、そのきっかけがこの大会になるだろう。
スポーツを通して学生や子供たちが、元気になることで世界が元気になる。コロナを乗り越えるには、若者が希望を持って前を向くことが必要だと思っている。
営業マンとして、若者が元気になる支援をしたい
私が社会のために動けるならばこの若者たちを支えること。
どうやって?それは私がメーカー営業マンとして働くこと。会社を通してオリンピック・パラリンピックに関わることが、結果若者が元気になることにつながるのではないか。
これが私が働く理由。メーカー営業マンとして物を売る理由。
会社の創業者は、戦後、非行に走る少年の姿を見て若者の育成に一生を捧げることを決意したという。
この会社で働く理由が見つかったということにしておこう。なぜなら今はもう少しこの会社で働こうと思えたから。