ずっと「好き」という感情がわからなかった。年齢のせいかと思っていたけれど、20歳を超えてもやっぱりわからないので、一度ある実験を行ったことがある。このエッセイは、その実験のレポートである。

強く心ひかれた、ある野球選手。本人に会うため初めての野球場へ

ある冬の日。大学生の私は、ある野球選手のインタビューをテレビで何気なく見ていた。それまで私は彼を知らなかったのだが、彼は高校野球の時点で既に注目を浴び、シーズン中は安打が出なかったことさえ報道されるようなスター選手だった。
私は彼の容姿と才能、そして野球にかける真摯な姿勢に強く惹かれてしまった。そこから元々のオタク体質が爆発し、彼のインタビューの掲載雑誌やテレビは欠かさずチェックし、高校時代のエピソードなど過去の情報などももれなく調べ上げた。
段々と本人を実際に見てみたくなってしまい、直近に彼が出場する可能性のある試合を見つけ、一番安い外野席のチケットを買ってみることにした。
残念ながらその試合に彼は出場しなかったのだが、これは本当に良い経験だった。外野席が応援団席だということを、野球観戦初体験の私は知らなかったのだ。なかなかの衝撃だったけれど、これはこれで楽しかった。
本人を実際に見られたのはそれから間もなく、新シーズンのオープン戦だった。
球場に入った瞬間、彼が10mほど前を横切っていったのを見て、「実在するんや…!」と感動したのを覚えている。

毎日彼のことを考え続けたらどうなるのか。「実験」が始まった

しかし私は割と飽きやすく、ある程度調べ上げたら情熱も少しずつ薄まっていった。
だからある日の夜、「もし毎日彼のことを考え続けたら、どういう心情になるんだろうか」と実験してみることにした。その日から夜寝る前に、日記をつけるようになった。
彼の試合の記録から、徐々に「もし街中でばったり会ったら」などの妄想日記に変化し始め、どんどん楽しくなっていった。
妄想日記が溜まってくると、誰かと共有したくなってきて、一番気軽そうな小説投稿アプリで二次創作作品として投稿してみることにした。大学生の私の作品は、雰囲気も対象の年齢層も少し場違いだったけれど、楽しんで続けていると固定の読者が現れるくらい軽く人気が出た。
その1年間は何度か球場に行ったけれど、当時ずっと金欠だったし、彼さえ見られれば正直満足な私は、球場でアルバイトすればタダで観れるかもしれないと思いついた。調べるとちょうど、試合開始前の球場内で働くアルバイトの募集を見つけたので、早速応募してみた。
私のファン2年目のシーズンは、球場アルバイトの楽しい1年になった。同僚は老若男女様々で、みんな共通して野球ファンだった。もちろん学生も多かったけれど、色んな経歴を持つおじさん達も働いており、彼らと話すのも面白かった。そして試合前の球場内にいるため、沢山の選手や有名OGを実際に見られたし、球団やメディアの取り組みや裏側を知ることもできた。

そしてついにその日が来た。1メートル先に憧れの彼がいた

なかなか私の憧れの彼は見られず残念に思っていたが、ある日あり得ないことがあった。
その日私は急遽、ヘルプでいつもと違うポジションに行くことになった。
開場前の球場はいつも慌ただしく、汗だくになって大急ぎでそこへ向かうと、なんとすぐそこに彼が立っているのが見えた。彼の真後ろで作業することになったので、見ようと思えば見られたのだが、全く直視できなかった。目があったら、石になるんじゃないかと思った。毎晩妄想し、二次創作までした憧れの選手が、1メートル先に立っている。
信じられなかった。いつ思い出してもドキドキする。あの数分間は、私の人生でも忘れられない宝物の数分間になった。
結局「好き」が何なのかはわからなかったけれど、実験の成果はあった。球場で色んな経験ができたし、二次創作が上手いことにも気付けた。色んな出会いがあり、少しだけ私の世界も広がった気がした。

そして渡米した彼。アメリカで彼にあったら私はどう思うんだろう

現在彼はメジャーリーガーとしてアメリカで活躍している。私も今は留学中で忙しく、あの頃のような熱量で追いかけることはできないけれど、いつか機会があったらアメリカまで観戦に行きたいと思う。
アメリカの球場がどうなってるのか気になるし、彼もどんな選手になっているんだろう。
そして久しぶりに彼を見た時、私はどんな感情を抱くんだろうか。どうせ彼を見たって「好き」が何か分かるわけないだろうけど、そこで出会う新しい感情がどんなものなのか、いまから楽しみだ。