いつだろうと思い返して真っ先に思い浮かんだのは、バレエを辞めたときだった。ここから先は、ただの私のやるせなさと後悔だ。

3歳の頃からバレエを習い、中学に入ってからもずっと続けていた

姉が習っていた影響で、3歳から近所のバレエ教室に通うことになった。普段目立たない私だったが、発表会が終わると観に来てくれた祖母や親戚は、「素質がある」「上手だったね」と賞賛の言葉をいつも贈ってくれた。

ただ、小学生の時点で身内の人は良いことしか言わないと、どこかで勘づいていた部分もあって、「そうやって褒めておけば良いと思っているんでしょ」という風に捉えるようになっていた。

小学校に入ってからは何度か主役をさせてもらえる機会もあって、正直調子に乗っていたときもあった。

中学に入ってからもバレエは続けた(というよりは、辞める理由がなかっただけだが)。中学2年生になった頃、同じ教室の先輩も過去にしていた「短期留学」の誘いを受けた。学校の授業でも英語が身近になってきていたたこともあって、他の土地でバレエをする、海外に行けるということもあってとても楽しみに思うようになった。

ただその年の3月11日、東日本大震災があった。幸い私の住んでいた地域では、大きな被害はなかったものの学校で揺れを体感し、連日テレビから状況のひどさを伝える映像が幾度となく放送されていた。

「津波でたくさんの人が亡くなった」。「計画停電、ガス、電気が止まるかもしれない」。そんな大きすぎる話もあったことで「留学は、今年は出来そうにない」、先生からそう告げられた。

純粋にバレエが楽しくて続けていたけど、ある一件で私の熱意が失われた

ただこれにはもう一つ話があって、実際には私の留学についてあまりよく思っていなかった人から、「~(私)に留学を経験させるには、まだ早いのではないでしょうか」という声があったらしい。

先生にその発言をしたのは、過去に留学を経験済みの生徒Aの親だった。直接話をしたわけではないので真相はよくわからないが、おそらくAの親は後輩である私がAより良い成績だったり、良い役が与えられたりしたら自分の娘であるAが目立てなくなる……となった結果、私を蹴落とそうと留学の件に関して妨害をしたのではないかと思う(憶測ではあるが)。

バレエを辞めて離れた今は俯瞰して見れているが、そういうことがあったと親から知らされたとき、「もうバレエ辞めたい」と私はそれ以外の感情がなかった。今まではただ純粋にバレエをすること、踊ることが楽しくてやっていたけど、誰かに阻害されるくらいだったら「もう何もしたくない」と、この一件を機に私からバレエをすることに対しての熱意が失われていった。

この騒動が起こった後に、一人だけオーディション参加について声をかけられないこともあった。どっちにしろ最初からプロになるつもりはなかったのだから、そこで終わらせて良かったのではと、自分を納得させるための言葉を何度も自分に言った。でも、何も響かなかった。

そして、納得することなく辞めてしまったから、そのときのやるせなさに未だにつきまとわれている。そこからバイトをするも、自分の興味のあることに取りかかろうとするも、たいした成果を上げることなく敗退し続けている。

故意に「歩みを止める」人が増えないように、やりきってからでもいい

あの地点からバレエを習い続けていたら、私はプロになれていたのだろうか。あの留学に行けていたら、Aの親に何か言われなければ、違う教室に通っていたら。あのとき以来幾度となく先のわからない「たられば」を繰り返した。

どのみち今以外の道をたどることが出来ていないのだから、他の道を行った先など知る術などない。そんなことはわかりきっているのに何度も何度も反芻してしまうのは、あのとき以降歩みを止めてしまっているからだ。


高校進学を機にそのバレエ教室での活動を辞め、バレエから遠ざかるようになった。あのときはもう完全に傷つききってしまっていたため、誰の言葉に対しても聞く耳を持たずあまり記憶にないのだが、親から聞いた話によると、私がバレエそのものを辞めることに対して続けた方が良い、この教室で習わなくとも継続した方が良いと親に連絡が何件も入ったという。

自分、ましてや自分以外の人がこれだけ期待してくれるなんて状況はもうこの先ないのでは、と思う。ただ、そのときの私はもう続けるという選択肢を持ち合わせていなかった。

バレエを辞めてしまったことに対して、何であのとき辞めてしまったの? と思う自分と、でもあんなことがあったからね……と思ってしまう部分が半々くらい存在している。ただ一つ、晴れ晴れとした気持ちで終えられていないことだけは確かだ。

これを読んだ人が、何かしらの活動を辞めるか迷っているならば、「やりきってからでも遅くはないよ」と伝えたい。どうか、これ以上故意に「歩みを止める」人が増えませんように。自分の納得の出来るところまで歩んでいけるよう、ささやかながら祈っている。