死ぬこともできず、倒れたまま水溜りができるほど泣いた二十一歳の夜

仕事が終わり、自宅に戻る。
玄関を開けてスリッパに履き替えて三歩、右の扉を開ければ私の部屋だ。
ドアノブを引いて部屋に入り、扉を閉めて鍵を掛ける。
一人になった瞬間、突然上手く呼吸ができなくなった。
最初は息を吸うことも吐くこともできず、息が止まった。
暫くすると次は息を吸って、吸って、吸ってずっと吸って……吐けなくなった。
あぁ、これが過呼吸かぁ。
ぼんやりとそう思った。
こんなにもたくさん吸って肺に酸素が満ちているのに、物凄く苦しい。
息を止めることよりも苦しい。
そう思いながら、荒い呼吸にもならない呼吸を繰り返して、涙を流した。
紙袋を口に当てて吐いた息を吸うと良いと聞いたことがあったけど、目につく場所には紙袋もビニール袋もなかった。
ただひたすらに苦しむことしかできない。
上手く息ができないままでいると、手は震えて、頭はぼーっとしてきた。
いっそ殺してくれればいいのになと思った瞬間、私は既に延長コードを首に巻きつけていた。
いつの間にプラグを抜いたんだろう。
あとはどこに結ぼう?高いところがいい。
誰も殺してくれないなら、私が私を殺さなきゃ。
助けてあげなくちゃ。
力の入らない手足で部屋をゆっくりと歩き回る。
吊れる場所ってあるっけ?
でも回らない頭と、この狭い部屋では上手く見つけられなかった。
それと同時に、とうとう手足に力が入らなくなって床に倒れ込んだ。
なんて無様なんだろう。
みっともない。
死ぬこともできないのか。
みっともない。
涙がフローリングに水たまりを作って、こめかみの辺りを濡らして、とても惨めだった。
これが、二十一歳の夜。

変わらない毎日を繰り返す社会人生活。抜け出す方法もわからなかった

十八歳で就職した会社は、田舎すぎて職種も会社も選べず、担任が無理矢理私に当てがった就職先だった。
製菓工場の製造業。
給料は驚くほど安く、残業は恐ろしく長く、休日出勤の人員にいつも勝手に組み込まれていた。
男性の上司は私の尻を触り、胸を触り、抱きついたが、誰もが見て見ぬ振りをした。
女性の上司に相談しても「あの人なりのスキンシップで交友を図っているだけなのに、それを悪く言うなんて。あなたが若いからそういう風に思うだけ」と咎められた。
毎日毎日毎日毎日、尻を触り、胸を触り、抱きついてきた。
そして、他の先輩たちは私を尽くいじめた。
私のことをブスと呼び、私が手に持っている掃除道具を意味もなく叩き落とし、それを見てゲラゲラと笑った。
他の人でもしてしまうような些細なミスも、私は見せしめのように大声で怒鳴りつけられた。
毎朝起きると吐き気と下痢に見舞われた。
胃液が上がってきて、口の中は常に苦く、何を食べても胃液の味しかしなかった。
十八歳。
十九歳。
二十歳。
二十一歳。
変わらない毎日だった。
ここから抜け出す方法がわからなかった。

いいことがあると、今でも思う。
「生きててよかった」と。
だけど、死にたい人に「生きてれば絶対いいことあるよ」なんて言えない。
あの日の私にそんなこと言えない。
いつか来るいい日のために、死にたい毎日を繰り返す地獄になんて耐えられない。
いつか起こるかもしれない素敵な出来事のために生きられる人は、明日が来る怖さを知らない。
朝が来ないようにする唯一の方法。
その方法に手を出そうとしてる人は、そんなに簡単じゃない。
バカにしないでくれよと思う。

人生地獄だと感じていた、あの頃の私へ伝えたいこと

だから「生きていれば絶対にいいことあるよ」とか「死ぬなんて馬鹿げてる」とか、そういう説教じみたことは、私からは言えない。言いたくない。そして多分、言っても意味がない。
だけど、どうしても言いたい。
死ねなかった私に言いたい。
生きてて本当に良かったよって。
死ねなかった自分はめちゃくちゃ惨めで情けなかったし、今も全然格好良くなんてないんだけどね。
思い切って仕事を辞めて、自分の住んでみたかった東京に引っ越して、自分の趣味にめいっぱい人生注ぎ込んでみたら、人生全然地獄じゃなくなったよ。
嫌なことから逃げてよかったよ。
誰かが「一度仕事を辞めると、その後も長くは続かない」「お前なんか辞めたらもうどこも採用してくれないぞ」なんて言ってたけど、そんなの全部嘘だった。
仕事は別に特別楽しいわけじゃないけど、嫌なことはそんなに多くない。
趣味に目一杯没頭できるように、毎日定時で退勤してるし、お陰ですごく充実してる。

「死ぬな」なんて言わない。嫌なことから逃げていいんだよ

嫌なことからは逃げていいんだよ。
好きなことすら楽しめなくなったら、もう一目散に逃げたほうがいい。
私は最初、本が読めなくなった。
文字は認識できるのに、文章が読めなくなった。
今思えば、あの時点で逃げるべきだった。
そこからどんどん他の趣味も楽しめなくなっていったのだから。
「死ぬな」なんて言わないけど、「逃げてもいいんだよ」てことだけは言いたい。
「辛くても逃げるな」なんてことを言う人は、あなたが逃げた後に困る自分のことしか考えてないんだよ。
だからあの日の私、もっと早くに逃げてもよかったんだよ。
そして逃げてくれて、ありがとう。
あの夜、吸うことしかできなかった息が、ここではちゃんと上手く吐ける。
今日はザ・ギースの単独ライブに行って、めちゃくちゃ笑ってきたところ。
今夜の私は、また来年も再来年もその先もこの芸人さんの単独ライブに行きたいなって思っているくらい。
いまはただ、ずっとずっとちゃんと朝を迎えられますように。
そう思ってる。
二十八歳の夜。